第13話 八つ当たる徳川勝康

 天正6年(1578年)。


「おお! ついに武田殿が上洛を決断なさったか!」

「はい、上杉謙信も死にましたゆえ、ようやく関東が落ち着くと判断されたとのことで……」

「では、北条殿も上洛できるのか!?」

「いや、それは……」


 徳川三河守勝康が伝えた朗報に細川兵部藤孝ほか幕臣たちが色めきたつ。近畿全域にはびこる反幕府反乱を鎮めるべく、ついに日本最強の武田軍団が動き出すというのである。


「長うござったが、これもすべて徳川殿が近畿にて孤軍奮闘なさっていたおかげにござる、改めてお礼を申し上げる」


 幕府の実務を取り仕切っている細川兵部が頭を下げる。細川家の分家筋ではあるものの、かなりの武勇を誇る勇士であるとともに外交や儀式についても抜け目のない男である。

 

「ええ、これにて浅井朝倉や叡山、三好三人衆どもについにとどめの一撃となりましょうぞ」

 確かに長かった。武田と一緒に上洛して、信玄の死去に伴って一人上方に置き去りにされてから、勝康はずっと何かと手伝い戦やら幕府の防衛やら反乱の鎮圧やらに走り回り、心身ともに安らぐ間もなかったのである。それが、心待ちにしていた武田の援軍を、しかも当主の治部大夫義頼(勝頼が改名)が率いてきてくれるのである。

 今度こそ幕府は盤石となるだろう。そして武田を支持する大名に領地が分配され、徳川も武田の縁戚として下にも置かぬ待遇を受けれることは間違いなく、近江伊勢濃尾三の五か国を領する大大名として安泰な生活を送れるだろう。


 喜びに沸き立つ幕臣たちにかこまれ。武田についていて苦労もあったが、やっと報われた……と勝康は喜びをかみしめていた。




 なお、武田は上洛を中止。

 北条との全面戦争に突入した。


  ◆ ◆ ◆



 結局、問題だったのは越後上杉家の跡継ぎである。


 上杉謙信には息子が居なかった。


 そして不思議なことに、すでに破棄された越相同盟の証として送り込まれた北条家の養子、上杉景虎は上杉謙信に非常に気に入られ、謙信から明確な意思表示はなかったものの、後継者候補として家中でも別格の扱いを受けていたのである。また北条の支持だけでなく、上杉一門からも支持されていた。主な理由が「ほかの一門のやつに継がれてでかい顔をされるぐらいなら北条の息子でいい」という後ろ向きな理由であったとしてもだ。


 それに反対したのが同じく謙信の養子である景勝であり、上杉謙信の直参家臣たちから圧倒的な支持を受けて上杉の首府、春日山城の行政機構の接収に取り掛かった。

 それに景虎が反撃し、追い返され、北条に援軍を求めたのである。


 北条家当主北条氏政にとってみれば、これは大国上杉を自らの弟で乗っ取れる千載一隅の機会であり、関東の平和を確実なものとする救いの光であった。

 そこで北条氏政は武田に出兵の通知を行うとともに、越後に大軍を出撃させたのである。


 これに反応したのが武田であった。武田からすれば北条が上杉を併呑すれば、自らの領地をぐるりと包囲されることになり、しかも今後上洛して天下の仕置きを行おうというときに、本国甲斐を北条の手にゆだねるような形になってしまうのだ。


 あくまでも戦略的な判断により、武田は上杉景勝と和睦し、甲越同盟を締結して北条に攻めかかったのである。

 なお、ここ数年甲斐が不作であったが関東は豊作であり、武田家の諸将が早期の出撃(および略奪)を要望していたのは秘密である。



  ◆ ◆ ◆



「結局なにも楽にならん!」


 勝康は走り回っていた。


 伊勢、近江、若狭、丹波、摂津、大和。一か所を鎮火させればほかのところが火を噴くのである。なんとか本腰を入れて一つずつ潰していかなければならないのに、手が回らない。勝康に静かに疲れがたまってきていた。


「で、これが叡山の降伏条件か」


 勝康は書状を読みすすむ。和睦の誓い、過激派の暴走に関する陳謝、徳川軍の戦勝祈願の実施と引き換えに大津の関所を撤廃すること。


「……叡山が降伏するのだよな?」

「朝廷からの和睦仲介の中で、少しは叡山に譲歩をせよと……」

 和睦を取り仕切っている石川が申し訳なさそうに頭を下げる、さんざん朝廷と叡山から居丈高な交渉を持ちかけられて疲れ果てた顔をしている。



 ガリッ。勝康はツメを噛み切ると、人を呼んだ。


 




 そして比叡山は焼け落ちた。




  ◆ ◆ ◆


 


 ……徳川殿は怒らせると怖いらしい。


 徳川軍が大軍を率いて比叡山を囲み、放火略奪の限りをつくし、手向かい歯向かったものは悉くなで斬りにしたという話は一瞬で上方中に広まった。


 和睦交渉中であったとして朝廷から詰問の使者がきたが、勝康は会いもせず追い返している。


 

 その後も勝康は変わらず近畿各地を転戦していたが、少しずつ情勢が変わっていった。まず甲賀伊賀の国衆がようやく説得に応じ、六角親子を追放して降伏。さらに北畠の反乱を支えていた南伊勢の国人とも和睦が成立した。


 どうも悪い意味での武名がよい方に転がったらしい。


 勝康はいら立ち紛れに焼き払った叡山を眺めながら、浅井攻略のために近江に兵を進めていた。




「三河守殿、此度の叡山一件は分別のある大大名とも思われぬ乱行であり……」


 そして武田の使者に怒られた。

 

 朝廷やら叡山などから武田に徳川を止めてくれと要請が行ったようで、北条と関東で乱戦中であるのにわざわざ使者が来たのである。


「ははは、申し訳ござらぬ。叡山はこの勝康が必ずや再建いたしましょう」

 勝康は能面のような顔で武田の使者に頭を下げ、善処を約束した。


「……良いお返事を頂けました」


 武田の使者が下がるのをみて、勝康は1年か2年だな。と考えて、そのまま浅井の討伐を再開した。



  ◆ ◆ ◆



 天正7年(1579年)。


 越後で上杉景勝が勝利した。


 武田と上杉は甲越同盟を締結し、武蔵にて北条軍を戦いを繰り広げている。北条との和睦を受け入れた里見を除く反北条諸侯が一斉に関東に出兵し、北条は悪戦苦闘を繰り広げている。


 そして徳川軍は小谷城に浅井を囲み、同時に越前にも侵入していた。



 北近江の徳川の陣。


「勝康兄殿、武田の横暴ここに極まれり、いったい武田は何をもって叡山の味方をしているのか。まったくもって北条は叡山を焼いた徳川殿が正しかったと思っておりますぞ」

 いつの間にか武田家から逃げ出していた北条美濃守氏規が、今度は徳川家に使者に来ていた。また叡山の件もどこから聞いたのか、武田の対応をひとしきり非難している。


「よく来た、しばらく居ってくだされ」


 いつの間にか武装した武者が氏規を取り囲んでいた。

 武者に肩をつかまれ、引きずられている氏規が叫ぶ。


「……使者を捕らえるような家は諸国から信を失いますぞ!!!」


 さっそく対武田の同盟を結ぼうとする氏規に対して、勝康は氏規を捕獲、すべてを武田に通報して身の潔白を示すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る