第12話 弱い徳川勝康
天正5年(1577年)。
徳川三河守様、近江高島にて朝倉、浅井、叡山の兵に囲まれ給う。三河衆は殿の采配に従い奮戦するも山城摂津、大和などの上方衆が算を乱して逃げまどい、ついに総崩れとなった。
-当家出兵の記録 大久保彦左衛門(現代訳)-
◆ ◆ ◆
京、斯波屋敷(徳川本陣)。
「負けたのう」
「いやいや、御味方は奮戦なされました!」
どこか憑き物が落ちたようにすっきりした顔でつぶやく勝康に木下藤吉郎が慌てて口をはさむ。
「我らはまったく浅井朝倉の衆に一歩も引かず戦いぬき、特に三河の皆様は一歩も引かずにまさに鬼神のごときご活躍を」
……いや、その三河衆がまずい。
元康は各部隊の戦いぶりを思い出していた。
敵に包囲された途端、幕府から借りた上方兵が浮足立っていたが、それにもまして三河兵の動揺もひどかった。特にここ数年の連戦で老練の武士が激減し、若く経験の浅い武士が新しく雇い入れた足軽をまとめ切れていなかったのだ。
本当は、勝てた戦だ。と勝康は思っている。
特に浅井朝倉比叡山はそれぞれ北東南と別の方角から分かれて攻め込んできており、局地的な兵の数だけは徳川方が優っていたのだ。一致して南でも東でも攻めかかれば追い返せた。いやもともとの三河兵であれば敵に対して少数であっても逆に団結を固めて攻めかかるだけの力があった。それがこうだ。
結局、挟撃を受けて上方衆が逃げ出し、松永などはいつの間にか朽木谷にいる始末。木下配下の尾張衆など銭で雇った足軽たちがこらえきれずに総崩れとなったのである。
その中で、本多平八郎と榊原小平太に率いられた三河旗本衆だけが目覚ましい戦いをし、攻めかかる浅井朝倉の兵を何度も押し返して、退却する味方を援護しぬいた。
だが、その三河旗本衆も手負い討ち死にが数多く出た。この傷を癒すには1年から2年はかかるだろう。
「殿、我らの軍はかなりの痛手を受けました。足軽は銭で集めるにせよ、体勢を立て直すには時間が必要、このままでは情勢が悪うござる。ここは武田屋形に援軍を求めましょう」
三河衆の筆頭家老である酒井左衛門尉忠次が言った。
「おお、たしかに。我らが長年武田に援軍を出してきた分、ぜひ武田に浅井朝倉を殴りつけていただきましょうぞ!」
「うむ、貸しを返してもらわねばな!」
家老衆の石川、大久保が口々に同意する。
「そうだな、少なくとも我らが陣立てを組みなおすまでの間は、武田に幕府を守ってもらわねば……」
勝康も同意したため、さっそく使者を立てて武田に援軍を頼むことになった。
断られた。
◆ ◆ ◆
「いったいそなたはどういう頼み方をしたのじゃ!!」
「きちんと我らの苦境を説明したわい! それを武田屋形は……『徳川殿に我らの援軍など不要であろう、上方は上方で対応なされ』とこうじゃ!」
「なんと無礼な!!? 我らが長年関東に出兵して武田を助けたことを何と思っておるのだ!」
「そもそも今回の戦は武田の指示ではないのか!」
沸騰する衆議。武田への恨み節で一気に場が染まった。
「ところで岡崎の信康はどうなった」
勝康は気になっていたことを問いただした。
「関東にご出陣中にて、うまくお会いできず……」
「……」
うむ、確かに若狭攻めの直前に、信康から「関東に出陣したい」との連絡は受けたぞ? で、もちろん若狭では圧勝する予定であるから、安心して関東で活躍せよと言った。言ったが……
「状況が変わっておるだろうが!!!」
「左様にございますな!!!」
あやつは誰の息子なのだ!武田か!!!!!
◆ ◆ ◆
天正5年(1577年)の徳川家はあちこちの反幕府勢力への対応に追われていた。大和や伊賀甲賀では六角親子に率いられた反幕府の国人衆が蜂起し、伊勢では一度降伏した北畠御所が再度謀反。浅井朝倉の軍は南近江に攻め込み、叡山の兵が京を狙う。
唯一、長宗我部に本国阿波を蚕食されている摂津和泉の三好三人衆の兵の動きが悪いのだけが助けであった。
勝康はあちこちの関所の徴税を強化、寺社や商人に頼み込んで矢銭をかき集めて兵をそろえ、なんとか対抗していた。
「雑賀の鉄砲を?」
「ええ、徳川殿も幕府のため奔走なさっておられまする、我らが門徒の持つ鉄砲を少し援助させていただければと」
本願寺の使僧が言う。この僧侶とも思えない大きな体と角ばった顔をした男は下間刑部法印頼廉と名乗った。
しかし、ありがたい話ではある。銭でかき集めた兵は殴り合わせると弱くてすぐ崩れる。ただ、鉄砲を撃たせるぐらいならば頭数さえそろっていればいいのだ。
「幕命をいただければ、雑賀の門徒も従軍させまする。その代わり、一刻も早い上杉朝倉討伐をお願いいたしまする」
「加賀でござるな」
「左様」
加賀本願寺は上杉軍の攻勢により今にも滅びそうなほど追い詰められていた。本願寺から武田にも必死の援軍要請を出しているのだが、何分加賀に援軍を送れる道がない。武田も越中やら越後に兵を送って邪魔するのがせいぜいである。
これを受けて、徳川軍の軍制に変化が生じた。武勇を誇る歴戦の武士は旗本先手衆に編成、それ以外は常雇いの足軽の大軍に鉄砲と長柄を持たせた部隊を多くつくらせたのだ。長年の戦いで精鋭を失った徳川家にはこれ以外の方法はなかった。
◆ ◆ ◆
天正6年(1578年)、彦根の戦いで徳川軍が浅井朝倉軍を撃破。熟練の武士を多く抱えた浅井朝倉の攻撃を鉄砲足軽の力で跳ね返し、押し返したところに旗本衆が横腹を突いて潰走させたのである。
しかし、ほぼ時を同じくして加賀門徒が降伏。上杉謙信の上洛の道がつながった。浅井朝倉は上杉と合流するために兵をまとめて北近江の諸城を硬く守り、各地の反乱や一揆衆が勢いを増している。
これらの兵がすべてまとまれば徳川軍を超える数になりかねない。
「いや、上杉が上洛すると申しておりまするが、所詮田舎の兵にござる、徳川殿のお力があれば」
「何をそわそわしておるか」
「いえ、何も?」
そして松永弾正がそわそわし始めていた。これはまずい。勝康は改めて武田に援軍を求めた。
断られた。
◆ ◆ ◆
京、斯波屋敷(徳川本陣)。
「いったいそなたはどういう頼み方をしたのじゃ!!」
「きちんと我らの苦境を説明したわい! それを武田屋形は……『我らは上野を攻める、それで上杉坊主は越後に引き返さざるをえまい』とこうじゃ!」
「……上杉の空き巣を突きたいだけではないか!!! その間我らは上方をどうすればよいのじゃ!」
「ところで北条は?」
「里見を攻めておる」
ガリガリ……勝康はまたもや親指の爪を噛んでいた。
いろいろとまずい。松永があちこち走り回っている。下手をすると上杉軍を迎撃している間に背後から殴られかねない。まず松永を討ち果たすべきか……
「徳川様はおいでか、徳川様にお目にかかりたいのだが」
おお、飛んで火に居る夏の虫。松永弾正が挨拶にきた。勝康はさっそく松永を斬り伏せる準備をして大喜びで松永を迎えた。
「……上杉不識庵謙信、死んでござるぞ」
「は?」
今にも松永を斬る指示をするところで勝康は固まった。
にやりと達磨のようなヒゲをした老人が笑う。そんな極秘情報を何故一足早く知っているかというとこの男はとっくの昔に上杉に内通していたに決まっているのだ。それを……
……本当にしぶといなこの男は。
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