第11話 絶好調な徳川勝康

 三河国岡崎。徳川家正室、築山殿の間。


「というわけでな、奥よ。領地も広くなって居るし、息子を多く儲けて領地を守らせねば新規召し抱えばかりの当家の家中をまとめることができぬ、信康を守るために弟が多くおったほうがよいし、一族の繁栄のため、それ以外の考えはないのだ」

「……」


 築山殿は勝康を冷ややかな目で見つめている。切れ長の目に色白の肌が映える。改めて美人だなと勝康は思った。これで自分より年上でなければ、もっとたくさん子供を産んでもらったのだが……もうそのような年ではない。岡崎に住む信康の後見となってもらい、妻は岡崎、自分は清州や稲葉山。離れて住んで長くなる。


「息子一人、娘一人では有力大名と婚姻を結ぶのも辛い」

 勝康は説得を続ける。実に大事な仕事である、徳川家の安定繁栄はこの説得にかかっておるのだ。


「此度選んだのは子持ちの後家で確実に健康な子供を産むことができ……」

「はぁ……良いのではないでしょうか? 殿は何を気にされておいでか、側室など好きなだけおけば宜しいでしょうに」


 正妻の築山殿は気の抜けたようなため息を一つつくと、あっさりと勝康の提案を認めた。


「む? よいのか?」

「良いも何も、私が一度でも反対しましたか」

 拍子抜けした勝康が改めて問うが、築山殿は不思議そうな顔をして頭をかしげる。


 してないな。勝康は思い返してみた。よく考えたら奥に遠慮ばかりして言う前からあきらめていた気がする。


「おお、では……」

「ええ、ですが。殿をお任せする以上はそれなりの方に限りますよ?」



  ◆ ◆ ◆



 清洲城、茶室。


「いやぁ、瞬く間に側室を5人も! 三河守殿もお盛んでござるなぁ、さすが猛将はあちらの槍も猛々しいと見える」

「……左様に良いものではござらん」

「ほう?」


 尾張守護斯波義統は意外そうな顔で勝康を見やった。自分の好きで女を増やして何が不満なのだ。まぁ、気に入らないなら話題を変えねばまずい、室町の公方の信任もあつい徳川殿である、尾張衆もずいぶん懐いた。正直な話茶坊主としてでも役に立たねば自分などいつ追放されるか分からんのだ。

 しかし女の話は盛り上がると思ったのだが……


 

 勝康は憮然としながら、閨での様子を思い出していた。たしかに皆、武勇名だたる武将の親戚で、子持ちの後家として子作りの実績も豊富。健康で子供をいくらでも産めるような良い側室である。

 が、それは逆に言えば年増で骨太で恥じらいがなく、器量はそこそこということでもあり。


「これならば、奥のほうが良かったわい」

「左様でござるか、いや、徳川殿の正室は幸せ者でござるな」

「奥が幸せでも子はできぬのじゃ」

「……若くて可愛い娘を側室におとりなさればよいのでは?」

「……いや、しかし奥がなぁ……」


 まったく、この男は濃尾三の大大名のくせに本当に気が小さいというか、人に気を配って使われてばかり、気苦労と過労ですり減ってしまうのではないか。幕府やら武田やら正室やらに追い回され、面倒な部下に突き上げられる勝康の人生を思って義統は心から思う。


 ああ! このような面倒な大名に生まれなくて本当に良かった!!! 

 遊んで暮らせる名族斯波、我が血筋はなんと素晴らしいのであろうか。義統は先祖に感謝して、勝康に多少の助言をすることにした。


「たまには自分の思い通りに物事を進めてもよいと思いますぞ?」

「思い通りとは?」

「御家の得だけを考えて動いてもよいということでござるよ、ぐだぐだ逆らってくるような小大名など押しつぶしてしまいなされ、徳川殿はそれができる大大名でござる」

「……」

 

 勝康の心に一つの大名家が浮かんでいた。



  ◆ ◆ ◆



 天正4年(1576年)。


 徳川家は幕命により南伊勢の北畠家を討伐、その領地を徳川家に組み込んだ。同時に志摩から南大和にいたるまでの諸豪族をも降伏させている。


 伊勢の北畠御所は南北朝の時代以来、幕府に逆らったり従ったりして独自の勢力を保っていたわけであるが、特に徳川と遺恨が有ったわけでもなかった。それを兄弟喧嘩の隙を突かれ、調略され、気が付けば滅ぼされていた。


 いちおう、幕敵六角の残党をかくまったということで、幕府から討伐令を貰ってのことではあるが、純粋な徳川家の野心によって攻め滅ぼされたのである。しかも、それを滝川左近将監率いる北伊勢衆と尾張衆の一部だけ、つまり片手間でやり遂げてしまったのである。


 「当家は思ったよりも強いのでは……?」


 見れば三好三人衆は本国の阿波に徳川との同盟なった長宗我部が食いついたため、兵を本国に戻さざるを得ず、摂津和泉の拠点を次々と失っている。


 また、幕臣で甲賀出身の和田紀伊守惟正の支援を得て、服部半蔵を中心に伊賀、甲賀の地侍に対する所領安堵と取り込みを進め、六角親子を少しずつ追いつめている。


 たびたびの武田家の遠征に岡崎衆や美濃衆を派遣しつつも、これである。


 軍資金も近畿各地に設けた関所からの収入で十分に賄えていた。いくらか苦情も出ているが、幕府から受けた特権であるといえば文句も言わせぬ。


 さらに、側室が次々に孕んだという報告もあった。


 「当家は思ったよりも強い!」


 勝康はすっかり自信をつけていた。



  ◆ ◆ ◆




 天正5年(1577年)。 


「朝倉家は武田を軽んじておる、若狭守護武田元明殿を解放せよ」


 甲斐武田より突然、越前朝倉氏に要求が突き付けられた。若狭国は長年越前朝倉の属国として扱われ、守護の武田元明が朝倉氏の居城、越前一乗谷にて抑留されていた。


 それに対し将軍足利義昭政権の当初より幕府を支えていた若狭国衆の要求とも、武田元明自身が甥である足利義昭に助けを求めたとも言われているが、上杉退治で自信をつけた武田義頼(勝頼)が天下人気取りで気軽に朝倉に元明解放を申し付けたのは変わらなかった。


 朝倉は要求を拒絶。兵を出して若狭の幕府方国人を攻め始めた。



「武田屋形からのご指示です、幕命に従い若狭の朝倉軍を討伐されよ」

「ははは、お任せあれ。この徳川軍にかかれば朝倉など」


 徳川勝康は出陣命令を受けて美濃尾張の兵を率いて近江に出陣、琵琶湖の西側、湖西を通って若狭へ兵を進めた。幕府方の国衆の援軍を受けて兵力は4万に膨れ上がっており、朝倉の兵は2万にも満たないという。


 負けるはずがない、戦というのはなんと楽なものか……。


「殿!大津の代官所が焼かれております!!」

「いったいどこの兵だ!どこから兵がでる!!?」


 勝康はうろたえた。琵琶湖の根本である大津を取られては挟み撃ちではないか!?


「比叡山延暦寺の僧兵です!!」


 

  ◆ ◆ ◆



 叡山の衆徒は麓の大津での課税に常々不満を表明していた。比叡山に入る年貢や末寺からの上納が目減りするのである。

 しかし、幕府からの特権を盾に免税要求を拒否、さらに堅田の門徒衆が水運を握ったため、比叡山と関係の深い大津の商人が困窮していた。

 そこに朝倉が反本願寺反幕府での連携を呼びかけたのである。


 

 琵琶湖の西岸、近江高島に陣を構えた徳川軍に次々と知らせが入る。


「朝倉が上杉と同盟し、上杉・能登畠山の兵が加賀へ侵入。加賀門徒の拠点を次々に攻め滅ぼしております」

「南伊勢にて北畠残党が蜂起しました、滝川殿が防戦に追われております」

「南近江にて六角残党が」

「三好三人衆が」

「若狭より朝倉の兵が南下してきております!」

「小谷から浅井の兵が出陣!こちらに向かってきております!」




 ガリッ。


 ここ1年ほど思う存分に延びていた親指の爪に勝康が噛みついた。

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