第9話 ふたりは徳川

 年号が変わって天正元年(1573年)。武田の上洛を祝して時の将軍足利義昭が大喜びで改元を提案し……ついに改元なったころに信玄坊主が急死したのである。余りの間の悪さに幕府に対する朝廷からの信任は地に落ちていた。


 新しい武田政権を担うべく期待された諸将は次々と甲斐信濃に引き上げ、なぜか京に残るは徳川三河守のみ……


 いや当人も一刻も早く清洲に帰りたかったのだが、帰国する為の時間を稼ごうと三好三人衆の兵と宇治のあたりにて合戦に及んだのがいけなかった。


 とにかく固く守って敵を追い返せばよしということで、木下藤吉郎の提案にて馬防柵をみっしりと立てならべ、尾張衆が鉄砲をさんざんに撃ちかけた。三好三人衆もカネで雇い入れた雑賀衆を中心とした鉄砲の数では劣っておらず、双方腰を落ち着けた鉄砲戦となって耳がおかしくなりそうなほどの音が響きわたる。


「あ?なんじゃ小平太」

「……!!! ……!」

「……平八もなにを……」


 三河旗本先手衆を率いる榊原小平太康政と、本多平八郎忠勝が何かを盛んに進言してくるが、双方の鉄砲の音がうるさくてよく聞こえない。どうも敵陣の一か所を指さしているようだ。


 ……いや、あそこは動きが悪いな、なんだ?ああ紀伊雑賀の雇い兵と三好本国の四国兵の連携がうまく行っておらんのか、えらく陣立がスカスカと空いている。


「よし、そなたらあそこを突いてみるか?うまく行けば崩れるやもしれん」

「ははっ!!!」


 飛び出していく榊原小平太と本多平八。


 その戦ぶりは近畿に響き渡ることになる。


 果敢に攻め寄せる三好三人衆の兵を尾張衆の柵と鉄砲が防ぐと、するすると三河旗本衆が後方に回り込む動きを見せた。

 

 それを見た雑賀衆と四国兵が側面攻撃に備えて陣の方向転換を行ったがやはり連携がうまく行かず陣が伸びる。そこに三河旗本衆が突撃を敢行。商売のタネである鉄砲の消耗を恐れ白兵戦を嫌った雑賀衆が終始退き気味に戦ったこともあり、三好の陣に大穴が開いてしまった。


「総がかりじゃ!陣から出よ!!」


 勝康の下知を受けて三河尾張に新参の美濃衆も一斉に攻めかかる。気が付けば三好三人衆の兵は総崩れとなっていた。装備も豪華な三好三人衆の兵からお土産を奪う好機と三河兵がひたすら追いすがっていく。


 

  ◆ ◆ ◆



 京に戻った徳川勝康は大泣きに泣きはらした公方の大歓迎を受けた。


 三人衆を撃退した以上、勝康としては一刻も早く帰国したいのであるが、

「さすがじゃ徳川三河守!!! もはや幕府の主柱と申すはそなたしかおらぬ! 何? 矢銭が不足か? 草津大津に関所を置くことを許そう! 足らぬか? 京七口の関所の代官権をやる!」

 と公方が抱き着いて離さないのである。


「いやぁ、お見事な勝利でござった。この松永弾正、感服つかまつった」

 気が付けば松永も三好の当主を連れて戦勝祝いに来ている。

「さっそく、摂津の敵方の城を攻めまする」

 しかもちゃっかりと空き巣まで開始しようとしている。


「摂津平定の陣立てについては徳川殿に主力をお願いしたい。松永殿には合力いただきたいのだが」

 幕府の実務者代表をやっている細川兵部藤孝の調整でいつの間にか近畿平定の作戦がどんどん決まっていく。



「しかし近江の六角残党も気になるのだが……」

「ご安心なされ、浅井備前守殿が出兵をお約束なさった、近江については心配はござらぬ」

 きっぱりと説明する藤孝の声に勝康は近江の情勢に後ろ髪ひかれながらも、幕府と松永の作戦に振り回されてしまうのであった。


  ◆ ◆ ◆


「浅井備前守殿が六角勢に敗退!」

「六角一揆が観音寺他の城を攻め落としました!」

「……清洲に帰れなくなったではないか!!!!!」


 殺到する報告に蒼白になる徳川勝康。


「いちいち国元に戻らずとも大和の我らが所領にて兵糧は提供いたす。山城国を抑えれば天下を抑えたも同然。矢銭も不足はござらん」

「そなたらは上方の兵だからそれでよいが、我ら田舎者は故郷に戻らんと死ぬのだ!」


 不思議そうに言う松永弾正を叱りつける勝康。松永はもっともらしくはあるが戦略的には成り立ちそうにないことをぬけぬけと言っている。勝康が見るに、この男は京に操りやすい大名の兵を確保しておきたいだけであって、徳川が根を絶たれてじわじわと枯れていこうがそれまでに存分に使い倒し、枯れ落ちたら他の大名を探すだけなのではないか。


「とにかく近江に攻め入り、六角にとどめを……」

「三好三人衆が和泉国に上陸!」

「………」


 天を仰いだ徳川勝康を、松永弾正が残り使用回数を値踏みするように見やっていた。


  ◆ ◆ ◆



「叩いても叩いてもモグラのようにあちこちの城に籠って攻めかかってくる……」

 

 徳川勝康は本国との連絡再開を優先して南近江に攻め入ったが、上洛のために兵数を絞って遠征している徳川兵では兵の絶対数が足りぬため複数の支城を駆使して戦う六角残党を攻めきれないでいた。


 もちろん援軍を本国に要請はしているが、六角勢に交通を遮断され、伝令もうまく通じないのである。

 いつもは口うるさいばかりに何かをしゃべってばかりの木下藤吉郎をはじめとする尾張衆や、もともと口うるさい三河衆、新参故に控えめにしか口うるさくない美濃衆も八方ふさがりの状況に口数が少なくなってきていた。


「こうなれば少数で近江を突破して、殿に稲葉山城にお戻り頂かぬか?」

「残された我らはどうなる、結局連携がとれぬでは」

「まったく、このような時にそれがしが二人おれば、片方で本国からの援軍を率いて六角を挟撃してやるものを……」


 ガリガリと削れていく親指の爪。まったく、もう一人のワシがいるなら会ってみたいわい!



「……伝令にござる!本国より援軍が参りました!岡崎の三郎様が!」

「セガレええええええ!!!」


おったわ。


  ◆ ◆ ◆



 三河尾張美濃の大軍を率いた徳川次郎三郎信康は近江に着陣すると一気に六角の残党を掃討にかかった。父の徳川三河守勝康と連携しつつ支城を順番につぶしていき、ようやく合流することができた。



「父上! 勝手に兵を動かして申し訳ありませぬ、ご連絡が途絶えました故……」

「良い! 良い! よい機会に来てくれた!」


 息子を抱きしめる勝康。

 息子はどこか誇らしげである。

 勝康も徳川家の未来が安泰であると心から信じることができた。


「しかし、よくもまぁ、これだけの軍を集めたものだ」

「はっ、本国をこぞって連れてまいりました」

「……こぞって?おや、大久保党の面々もおるな。石川党の面々もおおるな、鳥居党……天野……大須賀、内藤、蜂屋、平岩……」


 勝康は背筋が寒くなるのを感じていた。


「の、のう、信康よ。岡崎には一体だれが残っているのじゃ?」

「留守は……」

 信康はほとんど戦力とも言えない数字を述べた。


「たわけええええええええ!」

「へあ?」


 貴様は本国を空にして武田に空き巣されたいのかこの大馬鹿もの!!と言いかけて勝康は口を閉じた。どこから武田に漏れるやらわからぬ。


「しかし、武田屋形様も三河は武田兵が見守っておくゆえ、すぐに父上を救いに行けと」


 安心できるかああああああ!!!!!


 徳川信康。信は武田の信虎の信、晴信の信、義信の信である。武田家への忠誠を誓って、武田の姫を貰い、さらに一字を貰っているのだ。


 武田に嫁を貰い、武田の一字を貰い、武田を信じている自分の息子。徳川勝康は急に未来が信じられなくなってきた。

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