寄らば大樹の陰と生きていく

第8話 三河守徳川勝康

 永禄15年(1572年)。

 清洲城の大広間。


「それでは陣割はこのようにいたしまする」

「うむ、油断なきよう取り計らうように」


 粛々と軍議が進み、美濃攻めの陣立てが決まった。諸将が慌ただしく動きだす。


 しかし、最近は軍議がすんなり行くようになった。神通川の戦いで親族の十八松平の要人や酒井家などの重臣重鎮の多くを失い、今後の松平が立ち行かぬかと思ったが、人質世代から重用している若い世代や、尾張衆などの新しい人材も加え、家中が回り始めている。


 三河尾張の国主、松平蔵人佐元康はきびきびと動き回る我が家臣を頼もしげに見やっていた。


 ◆ ◆ ◆



「最近はそれがしの指示がよく通るようになって、ようやく大名として家中に認めてもらえたのかと思っております」

「いやそれは……」

「それは?」


「なんでもござらぬ、やはり家中の危機に際して、松平は蔵人殿なくては持たぬと皆が改めて認識したのでござろうて」


 ……親族や重臣などのうるさい連中が越中や美濃の陣でまとめて戦死したのは松平殿にとっては良いことでしたな。と言いかけた口を閉じて、尾張守護斯波義統は当たり障りのないほめ方をした。


 義統も本人がやる気を出しているならばそれはそれでよいことではないかとも思う。尾張衆に茶器を与え、茶道の許しがでて以降、茶道を習いたいと義統のところに頼むものが増え、謝礼による実入りも増えているのだ。

 万が一にも尾張衆をまとめて謀反を企んでいるなどと思わせぬよう、政治向きには軽い口出しにとどめ、変に恨みを買わぬように注意せねば。


「で、この度は武田屋形も出陣なさるとか、いよいよご運が開けますな」

「ええ、幕命を受けて六角三好の軍が美濃に出兵するとか。一大決戦にござる」


 なお、今年、松平元康はついにめでたく幕敵と相成った。


 幕府からしつこく送られてくる一色(斎藤)との和睦命令を無視しつづけたところ、危機感を募らせた一色が六角に頭を下げ、六角も美濃が落ちては次は近江であると出陣を決意したのだ。


 それに対抗して武田もついに大軍を発して美濃入りを宣言したのである。一大決戦をして一気にケリをつけるつもりだろう。けっして関東と和睦して豊かな遠征先がなくなり、略奪する場所がなくなったからではない。はずだ。



 ◆ ◆ ◆


 西美濃、大垣城西方。南宮山の南宮大社に陣取った六角一色三好の連合軍に対し、武田松平の鉄砲隊が一斉に火を噴いた。六角一色三好も弓鉄砲で応戦。一進一退の攻防が続いていた。

 

 戦況に大きな変化が出たのは夕刻。酒井忠次、春日虎綱、馬場信春に率いられた別働隊が南宮山を踏破し、側面から六角一色三好の陣に攻めかかったのである。

 

 予想外の方面からの攻撃にも関わらず、総大将の六角承禎は家老の後藤、進藤両将に命じて防がせ、逆に攻めかかるなどの活躍を見せたが、ほぼ同時に三好軍を率いていた松永弾正が「陣替え! 陣替えじゃ! 関ケ原で迎え撃つ!」と叫んで逃亡。


 それを見た六角一色の軍が動揺したところに、武田方の内藤、山縣による総がかりの攻撃がはじまり、ついに総崩れとなり関ケ原の方角へ落ち延びていった。


 ◆ ◆ ◆



「なにとぞ、三好左京大夫の参陣をお許しいただきたい。我ら三好家は武田屋形に歯向かおうなどとは毛頭思うておらず、今回の戦も六角に強要されてのこと、本心は武田屋形に忠義を尽くさんと思うておるのです」

「……数年前にまったく同じことを聞いた気がするのじゃが」

「おや? そうでござるか、いやこの松永。誠心誠意のみで生きておるのでいつの話も同じに聞こえるのかもしれませぬが」


 いつか見たような達磨のようなヒゲをした老人がいつか見たような弁明を武田の本陣で行っている。前回の上洛以来、6年だか7年だか経つが、目の前の松永弾正久秀は元気いっぱいである。


 その松永を軍議の間の中心に引き据え、武田徳栄軒信玄が尋ねる。

「のう、松平殿、どう思われる?」

 

 なぜそれがしに聞く。


「ああ、その、松永弾正はいろいろ取沙汰ある者ではございますが、勝者を選ぶのだけは間違いない男でございまするな」

「ふむ、では武田が勝者か、はははは」


 元康が答えると信玄は楽しそうに笑って、「三好の参陣、差し許す」と答えた。


「有難きしあわせ!かならずや全身全力にて武田にご奉公つかまつる」

 頭を下げる松永弾正を副将席に座った若い諏訪勝頼が冷ややかに見つめていた。




 ◆ ◆ ◆


 

 永禄16年(1573年)。六角家の当主である承禎、義治父子は伊賀に逃亡。武田上洛軍はついに京にたどり着いた。


 時の将軍足利義昭は南宮山の戦いで六角が破れると慌てふためいて比叡山に逃げ込んだが、松永の説得により武田側で復帰。改めて六角・一色を幕敵として討伐命令を出した。


 その後、永禄15年のうちに一色義興も逃亡し、稲葉山城をはじめとして美濃の西半分が松平、東美濃と郡上が武田領となった。

 そして16年に入って南近江が武田の手に落ちたのである。


「いやぁ上洛成功おめでとうござる」

「うむ、今度こそ官位の沙汰がありましょう」


 京の斯波屋敷にて義統と元康は祝杯を酌み交わしていた。いままで蔵人佐という何位かよくわからない官位を称してきたのだが、この度の論功でようやく大名らしい受領名(国守の官位)が頂ける予定なのだ。


「さすがに何とか大夫となると僭称が過ぎますが、国守ぐらいはなんとか」

「うむ、二か国半の太守ゆえそれぐらいはむしろ低いと言ってよいやもしれん。どうだ? 松平肥後守とか」

「……なんか気苦労の多そうな響きでございますな、京の治安に悩まされそうな」

「では松平伊豆守」

「うむ、頭のよさそうな響きにござる」


 などと戯言を言い合っているが、今回参陣した武将は皆幕府に昇進のお願いをしていおり、武田を経由する関係で却下されることは事実上ないと言っていいだろう。


 そのはずだった。



 ◆ ◆ ◆



 斯波屋敷の茶室。


「……松平殿には申し訳ないのだが、松平に三河守は前例がないと」

「は?」


 武家との調停の間を取り持つ公家である、山科言継が残念そうに言った。


「いやいや、あ、礼金が足りぬとか?」

「いやそういうわけではなく……その、ご先祖に藤原はおらぬのか?源氏でももう少し名の通った……」


 山科が言いにくそうに言う。これでも正二位の権大納言であり、武家の官位、しかも五位前後がどうのこうのと言ったことで走り回る格ではないのであるが。


「松平の先祖である世良田は新田の筋、立派な清和源氏であるぞ!」

「……新田義重殿も国守はやっておられんのだ。鎮守府将軍ならば……」


 山科は言わぬが、山科が困り果てているのは、時の帝その人が「武家が政権を取り合って戦をおこし民を苦しめているのを賞して官位を配っていられるか、カネと引き換えなど論外である」とお怒りなのである。

 なので、あくまでも前例をもってということで押し通そうとしている中で、松平が先祖代々折り目正しい田舎大名なのが問題となったのだ。


そこに尾張守護斯波義統が口をはさんだ。


「……しかし新田であればゆかりの人数も多かろうに、どこぞに古い系図を持っている公家はおらぬのか?」

「ふむ? 万里小路殿ならば果たして?」


 その後、いろいろ調べでっちあげた結果、「得川(徳川)」という新田の支族が藤原氏でもあったということが判明。松平を徳川と復姓しての任官がやっと認められたのである。


 ◆ ◆ ◆


 

「徳川三河守殿、この度はおめでとうござる」

「いえいえ、治部大夫様のおかげ様でござる」


 京の斯波屋敷。


 諏訪勝頼が松平改めて徳川元康のもとを訪れていた。お互い新規に任官があったのだ。諏訪勝頼は年が近いからか、武勇に優れた元康を尊敬してか、ちょくちょく斯波屋敷を訪問するようになっていた。

 その都度、尾張守護斯波義統が全力で茶道でもてなしている。


「実は、公方様から偏倚を頂くことになってだな、これで名目ともに武田の跡継ぎとして認められることになった」

「おお、それはめでたい」

「……しかし、勝の字がなくなるのは惜しい。貰ってくれぬか?」


 ガチャ……

 元康が茶を取り落とす。


「失敬!」

 

 武田の跡継ぎから一字を受ける。これを受ければ、松平もとい徳川は名実ともに武田の家臣である。


「そのような有難い仰せ、何と申しましょうかこの元康にはもったいなく」

「いや、元康殿だから貰ってほしいのだ」

「……かしこまりました」


 何を迷う必要があるか。北条をも黙らせ、上野から近江までを版図とする武田は間違いなく日の本一の大大名。これについていく限り松平もとい徳川というかややこしいがとにかく当家は安心ではないか!


 

 このようにして、武田四郎義頼(勝頼)から一字を拝領した松平元康は、徳川三河守勝康と名を改めたのである。



 ◆ ◆ ◆


 永禄16年(1573年)。

 信玄が死んだ。


 武田家が一斉に甲斐に引き上げ、徳川勝康は一人京に取り残されている。


 三好三人衆が摂津に上陸、六角親子が伊賀から進軍を開始した。

 三好松永の軍勢はいつの間にか京から消え失せている。




 ……どうしてこうなった?!

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