第2話 上洛将軍松平元康

「松平蔵人佐元康にござる」

「細川兵部大輔藤孝にございまする」


 清洲城にて元康は緊張しながら足利家の使者を出迎えた。


 なにせ朝廷から直接任命された従五位下の兵部大輔様である、自分の官位が何位なのかもよくわからない蔵人佐なのを考えるととても見すぼらしい感じがしてきた。


「ところで今川三河守様(義元)御出兵の儀、ご本国からはご回答いかがでありましょうか、必要であれば駿河まで出向きまするが」

「それには及びませぬ。ただいま衆議を重ねておりますゆえ、しばし清洲でお休み頂ければと……」


 嘘である。


 前の将軍の弟、足利義秋からの出兵要請を受け、今川家は義元も、現当主の氏真も非常に乗り気ではない。そもそも遠い京都に出兵すれば費用はかさむし、同じく将軍候補を抱える三好家との正面決戦に突っ込むことになり、労多くて利益少なしとみているのだ。


 それに恨みもある。

 永禄3年から4年にかけて(1560-1561年)前将軍足利義輝が長尾景虎をけしかけて関東に乱入させたせいで、今川が小田原に援軍に行かざるを得なくなり、尾張征伐を一時中断せざるを得なかったことを幕府の陰謀だと考えているのだ。


「上洛軍を求めるならば長尾に求めよ、なぜ我らに言うのか」と言うのが今川家の本音である。長尾(上杉謙信)も武田と川中島での争いが長引いており、出兵は難しいが言うだけならタダだろう。とはいえ、足利家親族の中でも今川は格別の家を名乗っている都合上、余り無碍にもできないので元康には「適当にあしらっておけ」という命令が来ている。


 無茶な。


 この松平蔵人、弓矢を取っては何者にも引けを取らぬ勇者なれど畳の上での腹芸など全くできる気はせん!!!


 というわけで足利家使者ご一行様はまとめて尾張守護斯波義統にお相手頂くことにした。接待費用ということで結構な金銭をたかられたが、歌会など開いて和やかにやっているようだ。

 やっとあの無駄飯ぐらいが役に立ったわい。


 元康が留飲をさげて、さぁ仕事にとりかかろうとしたとき。

「松平どーのーー」


 いつもの気の抜けた声が清洲の廊下に響いた。清洲城主殿がお呼びである。


   ◆ ◆ ◆


「いやぁ、ここにいる松平蔵人と申すは大変な武人でござってな。小勢を率いては何度も大軍を打ち破り……」


 打ち破ったのあんたの家臣の織田兵なんだけど自慢げに説明してくれていいのか。何で上機嫌なのか分からない尾張守護を元康は複雑な表情で見やる。


「三河兵と申すは1騎で上方兵を10騎は倒すもの、松平蔵人が1000騎も率いれば三好一党などこれこのように」

「いや、そこまでではござらぬので……」


 慌てて止める元康、このままではなんか松平党だけで上洛してこいという話になりかねない。


「松平はごらんのとおりの田舎ものにて、尾張ですら前後に窮しておりますのに、さらに帝のおわす京などに行かば、目がつぶれて動けなくなり申す」

「ははは、ご冗談を」


 お笑いになる御使者の細川殿。

 いや、本心であるが。


   ◆ ◆ ◆


 その後も足利の使者がしつこくしつこく駿河に陳情しつづけた、何度も使者が行き交い、駿河本国は面倒になったようで「兵は出すから尾張において一色(美濃斎藤)と六角と調整せよ」と言ってよこした。


 外交は全く得意ではない松平になぜ任せるのかわからないが、命令なのでやむを得ず一色家や六角家とも交渉を行った。細川や幕臣も精力的に走り回ってやっと話がついた。


 駿河今川、美濃一色、近江六角の連合軍での上洛である。

 

 やっと仕事が終わったと一息ついていた元康に先鋒としての出撃命令がでたのはそのすぐ後であった。ご丁寧に今川家当主氏真様からの「一色や六角と調整して万事存じておる元康に任せれば安心である」との伝言つきである。


 それを読んだ元康は感動のあまり爪を丸一日齧っていたという。


   ◆ ◆ ◆


 永禄9年(1566年)上洛軍は今川、斯波(という名の松平)、一色(美濃斎藤)、六角の諸大名の連合軍は総勢2万を数え、武装をきらめかせながら京へ向かった。対抗将軍候補を抱える三好家も1万あまりの兵を集めて京で待ち構えており、戦火を恐れた京都の町人が先を争って逃亡を始めていた。


 なお、義元様も氏真様もこの場には居ない。上洛軍(と言っても半ば松平の三河尾張の兵である)は家老に任せ今頃は清洲で戦況を見守っておられる。


 元康は京都郊外に敷いた陣地から初めて見る京の町を遠目で眺め、ため息をついた。

「京をゆっくり眺める暇もなく、焼けてしまうかと思うと実に勿体ないのう」

「ええ、勿体ないですから、できるだけ持ち帰りたいですな」

 松平家臣が答える。

 

 見ると家臣の三河兵はみな京に突入して土産物を得たい一心からそわそわしながら、どんなものを奪おうかという相談をしているようだ。


「……今回は上洛軍だぞ?」

「ええ、人数が多いんで出し抜かれるとまずいですな」

 三河兵の多くはどのような戦なのかわかっていないようで、元康が何と言って聞かせようかと悩んでいると、訪問者があった。



   ◆ ◆ ◆


「三好左京大夫殿が参陣なさると!?」

「いかにも、お許しいただきたい」


 軍議の場で今川、一色、六角などの連合諸将が騒然となる。なにせ三好家と決戦しようとしたら三好家の当主、三好左京大夫義継が連合軍に参加して三好軍と戦うという。何を言っているのかよくわからないというのが正直なところだ。

 


「そもそも前の公方様を亡き者にしたのは三好ではないか!それを何を虫のいいことを」

「あの事件の下手人は三好三人衆でござる、それがしも左京大夫様も公方様にご謀反するなどとは考えてもござらんかった」

 達磨のようなヒゲをした初老の男が平然と言ってのける。松永弾正久秀である。


 一般的に流布されている話だと前将軍を殺害したのは三好義継と松永久秀となっているが、当の久秀がどっちも清廉潔白であるとひたすら主張するのである。


「いずれにせよ、我らに正道に戻るお許しを得たい。弟君にお伝えいただけぬか」

 人をもう何人食ったのか何食わぬ顔で頭を下げる松永弾正。その実三好家内の勢力争いで松永は劣勢であり、三好家の家政を牛耳る三好三人衆へ対抗する起死回生の手として当主の三好左京大夫を連れ出しただけであるのに、それをおくびにも出さず飽くまで将軍家への忠誠であると言い張る。


 軍議は沸騰したが結局受け入れることになった。前将軍暗殺後、久秀が軟禁していた義秋の待遇を良くして事実上逃げるのを助けたこともあり、また連合軍も味方が増え被害が減ることを喜んだためである。


   ◆ ◆ ◆


 三好家当主と松永が連合軍に参加すると、三好三人衆の兵は動揺し戦わずして摂津に引き上げていった。連合軍は血を流さずして入京し、弟君は無事、新しい将軍として朝廷の任命を受けることができた。改名して室町幕府第14代将軍足利義昭である。


 元康と三河衆も上洛軍として入京した。だが、京都の町に入った三河兵は京の煌びやかさに目を奪われたように感心していちいち行進が止まってしまう。火をつけ奪うなどと威勢の良いことを言っていたのはどの口か、ただただ感心するばかり。

 通りがかった細川兵部藤孝に「なるほど、目が潰れ申したな」と言われ、元康は苦笑するのであった。

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