Point Nemo ⑴



「……まるで海底だな」



 長身のスウェーデン男が、何本目かわからない煙草に火をつけながら、そんなことを呟いた。

「寒いし、暗いし、狭苦しいし、だーれも助けに来ねぇしよ。だから早いとこ外に出ようって言ったんだぜ、俺は。おまけにあいつら、こんな時まで出番を押し付けやがって」

 暗闇の中で、蛍のように灯が動く。

「なあ、ところでお前ら大丈夫か? いや、別に心配はしてねーよ。ただ暇すぎて死にそうだから、まだ死んでねーなら世間話でもどうかなってだけ。確かあんたら、リアの知り合いなんだっけ?」

 私はため息をついて、男に片手を突き出す。

「くれ」

「あ?」

「一本恵んでくれたら、話さないでもない」

 舌打ちの音が聞こえたあと、指の間に、細長いものが差し込まれる。

「図々しい女だな」

「火」

「はいはい」

 煙草を咥えると、ライターの開くカチンという音がして、辺りがほのかに照らされる。冷たいコンクリの壁と床、申し訳程度のヒーター、トイレ、閉ざされた鉄格子。今座っているシングルベッドの隅には、依然として眠ったままのシノがいる。

 突然意識がなくなり、目が覚めた時には、この潜水艇のような狭い部屋の中にいた。リアの姿はない。きっとエレミヤに連れていかれたのだ。あのクソ医者。これが荒療治のつもりなら殺してやる。


「話を始める前に、一つ聞かせろ」


 紫煙をひとしきり吐いてから、言う。

「お前は誰だ?」

「あんた、マジで態度でけーな。誰だっていいだろ」

「良くはない。たとえばもしヘイミッシュとかいう奴だったら、二、三、聞いておきたいことがあるんだ」

 スウェーデン男は不満げに息を漏らす。

「……もし俺がヘイミッシュだとしたら、何を聞くって言うんだよ」

「まず一つ。お前はロリコンか?」

「は、」


 げほげほ。


 煙を吸い込むタイミングに合わせて質問したせいか、思い切り咳き込んでいる。

「うぇ。はぁ。いきなり何だよ。咽せたわ」

「図星なのか?」

「ちげぇわ」

「じゃあどうしてリアにちょっかいを出したんだ。シャワー中の少女を襲うなんて、誰がどう考えても」

「あ、あれは違う。てかお前見てたのかよ」

 私は頷く。だがこれは嘘だった。ここに入れられる前、食堂でこいつを見かけた時のリアの顔が少しいつもと違ったので、探りを入れてみただけだ。まさか当たりとは思わなかったが。


「あれは、他の奴らに会話を聞かれないためだ。あの医者と看護師共にな。まあ盗聴器やカメラってことはないだろうが……ただ俺的には、そういうのがないのは監視する気がないからじゃなくて、そんなものがなくても全部把握できるからだと思うんだよ」

「どういう意味だ?」

「どうもこうも、ただの勘だよ。なんとなく用心すべきって思っただけ」

「それで風呂に乱入したと?」

「そーゆーこと」


 呆れた話だ。


 煙を深く吸って、思い切り吐いた。私は自分の少女時代なんてとっくに忘れてしまったが、それでも見知らぬ男に裸を見られるなんて、年頃の娘には死にたくなるほどの恥であろうことは理解できる。

「それならトイレでもよかっただろ。どのみちいかがわしくはあるが、個室だし、裸にもならない」

「トイレはダメだ、俺の体格だとあの個室は狭すぎるからな。別にいいだろ? 風呂だって。俺も脱いだんだからイーブンだ」

「は、」

 今度は私が咳き込む番だった。

「げほ。うぇ。おいお前、今なんて」

 奴はきょとんとした顔で、

「いや、だから。お互いに裸だったんだからセーフだろ?」

 と言う。もはや頭がクラクラしてくる。

「マイナスとマイナスをかけたらプラスだろ、みたいに言うな。どこがセーフなんだ。一体どこにセーフの要素があるというんだ」

「裸なら武器を持ち込めない」

「一番外に出しちゃならん凶器を少女の眼前に突き出しといて何を言ってるんだ?」

 なんとか冷静さを保つべく、再び煙草を口に咥えて、深く吸い込む。ニコチン依存を引き起こし、肺がんを誘発するこのろくでもない嗜好品がなかったら、私はまた気を失っていたに違いない。

「本気で言ってるのは、わかったが。しかし、だいたいな、ヘイミッシュ。男と女では、その時点で大幅に男に利があるんだぞ。まして成人と未成年だ。イーブンというなら、お前だけが裸でやっとイーブンだろうが」

「あ、なるほど……それもそうか」

 まあ露出癖がなければの話だが。

「それにしても、可愛い子だよな」

「え?」

「変な意味じゃないって。ただちょっといじめたくなるだろ? ああいう一人で何でも背負い込む真面目な子はさ」

「へえ、女に怒られると興奮する口か」

 嫌味のつもりでそう言ったのだが、奴は、


「あー、怒った顔も可愛いんだろうな……」


 などと抜かして煙を吐く。何かいよいよ危ない雰囲気になってはきたが、こいつと話す他、今はどうしようもない。


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