雪隠れの郷

鳴海穗

雪隠れの──ひと欠片

 屋根に降り注ぐ大粒の雨の音を聞きながら小窓を覗く。長い時間をかけて、紫陽花の葉の葉脈の筋にそってカタツムリは進む。

 葉の裏へ隠れ込むのを見届け、少年はゆっくりと瞼を閉じた。

 カタツムリのようにノロマな姉はもういない。捜しても捜しても見つからない。姉の好きな料理を毎日用意するが戻らない。一万を越える電子メールの返答は一度も無い。彼女宛の電話番号は今日も使用者がいないアナウンスが流れる。

 握りつぶされたひと切れの紙には機械的で冷たさの宿る文字で時効の旨が刻まれていた。警察もお手上げであった。

 町中の掲示板にはもう彼女の顔すら掲示されていない。

 本棚に手を伸ばし、数冊掴んで取り出した。全て情報誌だ。姉の名や顔が一文でも載せられたものは全て保管している。

 雑誌を捲る音が数度。モノクロに写る姉の顔と情報を求む旨の記述。たった数年、彼女を捜索していた日々がどこか遠い昔のように少年は感じた。

 唇を噛み締める。昨夜見た夢は悪夢であった。


 少年は座り込み、手前には粉々に砕かれた鋼がある。刃物の欠片が散る床の上にも関わらず、“あの男”は素足で、奥にあるものを見せぬように後ろ姿で立っている。

 その後ろ姿は、あるものを執着するように見続けているようであった。男の人影の隙間から時折映る女性──十二単の姉は“神降ろしの儀”を操り人形のように舞っている。

 ──止めなければ。

 呼び掛けても声は出ず、全身は倦怠感のようなものを感じ、指一つすら動すことができない。

 その場は徐々に空気が重くなる。息を吸うのもやっとなほど息苦しくなる。

 割れたガラス窓から映る青い空は泣き出しそうなほどに雲がかかり、稲妻が走る。そして──……。


 頭がカチ割れそうになる程の激痛が走る。まるで思い出してはならないと言われているようだ。

 ガラス窓に映り込む少年の姿は青白く痩せ細り、病人のような顔をしている。

 最愛の身内を守れない自身に嘲笑いながら、お守りのように持ち歩いていた小さな巾着袋を胸ポケットから取り出した。

 袋の中身にはそら豆ほどの大きさをした黒い妙薬が一粒入っていた。躊躇いもなくそれ口にする。

 喉仏が下がる。


 ──これで俺は姉のもとへ行けるのだろうか……。


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雪隠れの郷 鳴海穗 @Inahomachi

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