6.トーン作業ってどんなですか?



前回までの負傷者




青髪くん──二日酔い&睡眠不足にて撃沈


オレンジ頭のガチ不良──三徹電池切れ撃沈


金髪くん──〆切前の大事な原稿にインクを零して消息不明




負傷者多いな……???




金髪くんに関してはもう、精神的な方でトラウマになりそうなレベルなんだけど。


金髪くんもそうだけど、作業の増えた私たちもだ。


一番泣きたいのはきっと、アシスタントを依頼しているであろう、キャラや構成を描いてる人だろう。


それが誰なのか……まだハッキリしていないのだけれど。




ガチ不良系イラストレーター・いおりさんに至っては、クロッキーするけどカラーイラストも描くよってくらいしか解っておらず。(水彩セットの残骸より)


もしかしたら人物を描いてるのは、ガチ不良のいおりさんなのかな?とは推測している。


ちなみに絵柄は綺麗系の少年漫画かな?というところ。




キャラ絵担当がガチヤンキー・いおりさんだった場合、彼はまだまだ睡眠が足りていないだろうからしばらく寝ているだろう。


メインであるキャラの絵が進まないと言う事態になってしまう。




そして……起きたら原稿丸々一枚がダメになってましたって説明することになるから……。


うぅ……伝える時のことを思うと、胸が痛くなってくる。




ごめんなさい、私がここに来た時には既にやらかしていました、金髪の人……。




思う存分寝てから、起きた時に静かに穏やかに、現実と向き合って頂きたい。うん。


寛大な心でいて。


私は両手を絡ませて、座っている椅子を彼の眠っているであろう部屋へとくるくるっと体を向けて、お祈りポーズを捧げた。




どうか、穏やかに、安らかに……。







「死んでねーんだわ」




突如開かれたそのドアの向こう側から、祈りを捧げていた対象が堂々と登場した。


それを目をまん丸にして二度見をしていく私は、祈りを捧げる琥珀ちゃん。




その扉の奥から姿を表したのは、今日倒れていたばかりのその当人、ガチヤンキー・いおりさんである。


さっき私が安らかにと願っていた、その当人である!!




私は目をまん丸く限界まで開いて驚かずにはいられなかった。


だって三徹だよ!!?


そんなすぐに起きられなくない!?




「まだ起きちゃダメじゃないですか!!?」




いくらなんでも復活が早過ぎないか!!?




「あ?お前誰」


「…………はっ!!!琥珀、琥珀ちゃんですっ!!」




こ、このタイミングで名前を、というか、私の存在のことを聞かれるとは、思っていなかった!!!!


完全に琥珀は油断していました!!!




でも今の聞かれ方だと、昨日会ってたの忘れられていませんかね!!?


ニュアンス的に知らない人相手に聞いているような感じに聞こえたのですが!!!




「喰う……のは、まだダメか。めんどくせぇ、〆切前……」




お腹がすいてらっしゃるのだろうか?


無理もない、もうお昼を過ぎたのである。


おにぎりは全て、フランスと愉快な仲間たちがペロリと食してしまったのだ、無念。ごめんね。




彼の登場でその場全体の緊張感が急激に増し、今日はフランス(国旗の色)になっている子たちはペコペコと彼に頭を下げている。


未夜くんだけは、ぺっこり。という感じで……可愛いな!!!




このいおりさんて人もかなりお偉いさんの位置付けにいる人のようだ。


下々の者の反応でよくわかる。




くすくすと、奥から控えめに笑う声が聞こえてくると、その不良の中の不良であるいおりさんとやらの後ろから姿を表したのは、咲くんであった。


さっきぶりの咲くんのエンジェルスマイルである。




「今日すごく元気だね、琥珀ちゃん」


「……生意気でしたでしょうか……?」


「タメ口でも生意気でも態度でかくても、俺が許すよ。そしたらもっと自由にのびのびと振る舞えるでしょう?」


「え、いやいや、え?」




冗談かなにかだろうか?


しかし彼は一応、黒曜の中でいっちばん偉い人なのである。


そして周りもその咲くんの発言に反対意見はないようで……。




え……?


そんな自由でいいの……??


こんな、昨日今日来た右も左もわからない、ちゃらんぽらん女神の琥珀ちゃんが……?




「俺が許可するんだからいいんだよ。昨日今日でかなり怖がらせちゃってたし。それより、今日のインクの件、さっきいおりに話してきたからね」




さらりと告げられるのは、死刑宣告だろうか。




ピシッ…………この場で作業するだろう五人が一斉に固まる。


たらり、冷や汗。


もう……知ってらっしゃる……?


怒る……???




先程現実を咲くんから教えてもらったらしいいおりさんが、目つきの悪い顔とひっくい声で、背景の雨林さんに尋ねる。




「パッキン野郎は?」


「……制裁して、咲に渡した」


「あぁ、あの子ね、しばらく預かってるから」


「あぁ?」




『預かっている』と言う咲くんの話に、よりドスの聞いた声で、雨林さんといおりさんがはハモる。


涼しい顔で発言した咲くんの表情は、変わらずにこやかで。


下々の者共は私含めて皆で肝を冷やして震えております。


あくびして首傾げてる余裕そうな人は未夜くんただ一人……肝が据わってるなぁ……。




未だかつて無いくらい怖い雰囲気なのだけれど。


怖い×怖いにふんわり笑顔の和みが加わっても、それすら恐怖なんじゃないかと錯覚してくる。


咲くんも咲くんでよくその二人相手にいつもと変わらずにいられるなぁ……。




「だってすぐにでも手出しちゃいそうでしょう?落ち着くまではお預け、だよ」


「咲さぁぁぁぁん!!」




涙目で安心感を訴えるのは赤髪くん。


彼も友達の安否は不安だったらしい。




「それじゃ、怒りをバネにして〆切まで頑張ってください」




にこり、変わらないそのエンジェルスマイルは、優しさを感じると同時に鬼のようだとも感じた。


〆切という現実をまざまざと突きつけられ、当の彼は作業部屋から出ていったのである。




容赦ない……いや、一周回って愛なのかもしれない。


でも彼の腹の内はちょっとわからない。




結局、彼は漫画作業には関わっていないのだろうか?


とてもすごく他人事のようであった。




その辺の疑問も解消させてもらえないまま、私たちは作業に入る。
















昨日スカスカだった丸に十字しか描いていなかったはずのそこに、ちゃんとキャラクターが描かれていて、その作業の速さに驚いた。


え、昨日私が帰ったの、日付が変わる前くらいだったのに……まさかそれからも手を付け加えてたの……?


ちゃんとペンも入っていて、フランス色の彼らは消しゴムを丁寧にかける所から始めていた。


といっても、未夜くんは赤・白の彼らから原稿用紙を受け取って、流れるようにトーンの作業に移っていたけれど。




私もヘッドホンと小物の下描きを次々と描いていき、そしてその次の作業で問題が発生した。




「ぺんてく……?」


「さすがにペンテクは未経験か」




雨林さんからの指示を受けようとするも、もう粗方の下描きは終えているようで。


私の前に立ちはだかっていたのは、ペン入れの作業のことだった。


漫画のペン入れなんて、生まれてこの方したことがない。




丸ペンやGペンやスクールペンなんていう名称は、画材として存在は知っていたけれど、漫画は描いたこともないし、経験もない。


つけペンを使うには慣れていないと、シャーペンなんかとは全然感覚が違うらしい。




定規を使うこともあるし、ヘタしたらインクべちゃり事件が私にも発生する可能性がある。


なにそれ怖い。


複数人で仕上げていく他人の原稿にペン入れ怖い。




「この〆切を乗り越えた後で使い物になるように詰め込んでやる」


「お、お手柔らかに……」




琥珀ちゃんは褒められて伸びるタイプなので、たくさん褒めながら指導して欲しいと希望します。


というか、これは今後の私も採用されてしまうのが決まっておられるご様子で。


嬉しいやら怖いやら複雑な心境です……。




でも初めて使う画材がいっぱいなので、翼を授けられてしまうくらいに楽しいのも事実です……!!わくてか!!!


エナドリ違いなんじゃないかとかいうツッコミは聞かないよ!!




ということで、難しいものは後でキビキビと指導されることとなり、私は例の『とーん』こと、スクリーントーンを貼る作業に入ることになって。


未夜くんの机へと、ちょっとばかし見学しに行くことになりました。




「カッターで切る時は原稿ごと切らないように……握力なさそうだから、大丈夫そう?」


「握力の無さがここで役に立つとは思いませんでした、まる」


「手も切らないように気を付けて、トーンだけ切れる感覚に慣れて。貼りたいサイズより少し大きめに切ってから原稿に貼って」


「ほうほう」


「原稿の上で綺麗に型抜きみたいに切り取る」




未夜くんのチャームポイント(?)であるぶかぶかのパーカーの袖は、原稿の為にちゃんと折って短くなっていて。


それはそれで、萌え……げふんげふん。




原稿では人物の服が線画に沿って綺麗にくり抜かれていき、そこには派手なヒョウ柄の服を纏った人が出来上がっていた。


ヒョウ柄……派手だなこのキャラ……。




「トーンは貼り付けた後にヘラで擦って、剥がれ落ちないようにノリを原稿にくっつける。その時テキトーな紙をヘラと原稿の間に一枚しいて」


「はい先生っ……!!」




あれだね、アイロンかける時に一枚布を挟むみたいな!!


原稿が傷つかないように汚れないように、配慮するんだね!!


琥珀ちゃんは完璧に理解しました!!




す、すごい、ちゃんと私、指導を受けている……!!


未夜くん先生だっ!!かわいいっ!!




トーンてすぐに剥がれちゃうものなのか!!


ノリが弱いのかな……まだ触ってないからその具合がわかっていないけれど。




「ホコリとか消しカスとか入らないように、あと、貼った後でも吸着してないうちは一応剥せるから、やり直し効くから大丈夫」


「安心安全のトーン様様ですね!!」




安全の辺りは、怒られない怒鳴られないで済むという意味が強めである。


るんるん!楽しそう!


切り絵で鍛え上げた腕が鳴っちまうぜっ!!




今のところは私はまだ安心安全な立場にいるけれど、この先まではわからない。


そこでやり直しか効くとか素敵すぎる!!




「削る時もちゃんとヘラで固定しないと、グチャってなるから」


「削る……?」




……あ、例の、『削る』だ。


未夜くんは「あ」と思い出したように、原稿用紙にササッと手際よくトーンを貼り付けていく。


原稿には青色の色鉛筆か何かで指示が書いてあるようで、けれどその線の意味は今の私にはわからない。




その線より大きめに切られた、点の集まりでグレーに見えるトーンを丁寧に貼り付けて、ヘラで擦っていく。


角の方はもうトーンの形に原稿が凹んでるよね?ってくらいにグリグリと。


……あれ、割とこれ指先の力を使う作業なのでは?




「これ、アミトーン。点が均等に集まってて、影とか、雲とか、濃さを均一にしたい所に色を付ける」


「漫画だと縮小されてて気にしたこと無かったけど、原稿用紙のサイズ感だと点の集まりがしっかり見えるんだね」




原稿用紙のサイズはA4より大きくて……B4サイズかな?


トーンも同じくB4サイズで、原稿用紙を丸々覆えそうなサイズ感だ。




「この点の位置はなるべく、切り取る前のトーンの角度から変えないように原稿用紙に置いて」




はて、角度?


そんなところまで気にして見たことも無く、同じ濃さなら角度なんて自由でも良さそうに感じでしまう。


読んでる方からしたら、角度なんて気にしていないと思うところだけれど。




「見た方が早いか」




そう言って未夜くんは、先程原稿用紙に貼ったトーンの上にもう1枚、切り抜かれたトーンを重ねてみせた。


下にあるトーンが透けて、重ねたトーンと共にドットの細かさが増え、グレーが濃くなる。




それから未夜くんはゆっくりと、上に重ねたトーンに角度を付けると、そこに謎の柄が産み出された。


なんだこれ…………??


それは角度によって大きくなったり小さくなったり変化している……。




「これ、モアレっていうの」


「もあれ……?」


「角度が合わないトーンが重なったり、あみの広さが違ったりすると、どうしてもこのモアレが出ちゃうから、貼る時は気を付けないといけない」




なんということだろうか。




大変だ、読者の皆様にこの現象をお伝えするには適した説明が出てこない。


ぜひググってほしい。


この『モアレ』とやらを。


目が錯覚を起こして(?)モワモワチカチカするように感じる。




ていうか、あみの広さが違うという所からしてもピンと来ない。




「その、あみの広さって何??」




知れば知るほど混乱が増していく『とーん』。


私より年下だろうに、私よりずっと知識も技術もある未夜くん。


初心者中の初心者なので本当に申し訳ない……あとでまた玉子焼を多めに作ってこよう。


いや、決して邪な気持ちがあるわけでは……もごもご……。




「トーンのこの点同士の間隔が広かったり狭かったり太かったり、種類がある。それぞれ番号が付いてるから、重ねる時は同じ番号を重ねるとモアレが出ないから」




そう説明しながらカッターの刃先をドットとドットの間に向ける。


その幅、一ミリもない。


うわぁ、細かっ!!




私はドットで世界を見たことがないから、漫画を創っている人達はそんな細々こまごまとした世界が見えているのかと思うと目が眩みそうになる。




ヤンキーたちが繊細な作業を出来る人を探しているという意味がよくわかった。


0.数ミリ単位で気を配らないといけない作業なんて、そこまで集中出来る人も限られてくるだろうし。


そのレベルを保ちながら数時間……いや、それどころか三徹してた奴が約一名いたわ。




え、なにそれ正気の沙汰じゃなくない???


普通に体壊すよ???




「それで、削る時なんだけど」


「……う、うん」


「網目通りに削っちゃうと、ドットの集まりが丸ごとごっそり消えちゃうから」




つまり……?




「網目からちょっとズラした角度で……10〜30℃くらいの角度で削るの」




シャッシャッシャッシャッ、カッターの先端を手前にスライドさせて、面の側で削っている、未夜くん。


魔法の手によって現れるグラデーション。


等間隔でリズム良く削られていくドットの欠片たち。


けれど決して、フィルム自体を切っている訳ではなく、上の印刷部分だけ削り取っている。




「削りました」


「地道な作業だね……」




さっきまでトーン作業にルンルンしていた自分の顔面をアイアンクローでねじ伏せてやりたい衝動感。


作業がミリ単位以下の気配りを平気でしてるんだよこの子……!?




漫画描いてる人みんなそうなの!!?


そもそもなんでトーンてドットになってんの!?


普通にグレーで良くない!?ダメなん!!?




そりゃあ体調不良で休載していく作者さんも出るよね!!理解!!!




「漫画読む時、この削りをしてる人いるから、見てみて。グラデーションのトーンもあるけど」


「使い分けられている……?」


「描く人のこだわりとかもあるから」




この業界、こっわ。


しかし琥珀ちゃんは忘れていたのである。






この〆切後、『ぺんてく』とやらがまだ控えていることを。




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