地下帝国に、犬がやってきた。

 その日、地下帝国に犬がやってきた。


『ミコ』という名のその犬を、他の参加者達と変わらず二足歩行のそれを、SHOUJOAは[うちの飼い犬。]と言い切った。これから何をしでかそうと言うのか。画面のこちら側で理人は戦々恐々だ。



 金曜日の晩に引き続き、昨日も業務内容のブラックさは相変わらずだった。それでもSHOUJOAの希望通り、地下鉄の駅から地上に上がる階段は学校の少し離れたところに繋がり、学校の前の道路には、理人の希望通りバス停も出来上がった。完全に再現されたものでは無いが、リアルを思い起こさせるには十分なその景色に、理人は感動したものだ。作業の手を止めてカイリをバス停に佇ませれば、学校から出てくる三田を待っている気分にもなれた。


 そして、今日。明日はまた平日だというのにやってきたSHOUJOAは、彼女に全く似つかわしくない犬を引き連れてやってきたのだ。その犬の頭の上に書かれたプレーヤー名は、『MIKO035』。

 その名前。そして、その犬の見た目。それを操る人間が誰かということは、わかっているつもりではあるが、そのひどい仕組まれた感に、カイリは何も言えないでいた。



[ミコ、散歩に行くよ。カイリもついてきて。]



 相変わらず傍若無人なSHOUJOAに、理人は画面を前に頭を抱えたくなるのを必死で堪え、自分には何の打ち合わせも無かったそれに、ただただ付き合わされていた。何か言い返してやりたい気持ちもあるが、相変わらず苦手なままのフリック入力では、それを伝えきれる自信は全く無い。


 生配信されている方の画面では、Jが相変わらず学校で小ネタをやっているようだった。どうやら、随分と学校ネタが気に入ったらしい。体育着に着替えた参加メンバー達が、一様に同じエモートをしている様は、準備体操だろうか。よく用意したものだなと現実逃避をしながらそれを眺めていれば、相変わらずこちら側とは全く違う時間が流れているように感じた。



[ミコ、大丈夫?]



 SHOUJOAが、携帯電話のチャットでミコという犬に声をかけている。犬がそれに答えるように頷いた。

 どうやらリアルで一緒にいるわけでは無いらしい。確かにこの時間では、それぞれの自宅でパソコンに向かっているのが普通か。直接やりとりもできるだろうに、この配信用の裏チャットを使うということは、カイリへのアピールもあるのだろうか。

 今はJに言えば誰でも入れる状況とは言え、なんでまたと思わざるをえない。会いに来てくれたにしては、まだ一言も話せていないし、遊びに来たにしてはタイミングが悪い。うまく話せるようにという森の気遣いだとしても、理人のフリック入力の遅さを考えれば、これは悪手だろう。


 ミコという犬は、操作が慣れていないのか、あちらこちらにぶつかりながら、それでも地下帝国を楽しそうに歩いては眺めている。時折カイリの方を見ては止まり、そしてまた動く姿が、本当に犬の散歩をしているかのようで、理人は思わず笑う。ついてきてと始めに言われたきり何も言われていないが、なんとなくそのままその後ろに従ってついて行った。ミコと話せるタイミングがあるだろうか、そんなことを考えながらカイリを操作していたら、気が付けばついて行っていたというのが正しいのだが。

 N1200の駅ではミコがぐるぐると忙しそうに頭を回し、あちらこちらを見ている姿がとても可愛かった。



[ミコ、こっち。]



 SHOUJOAが、携帯電話のチャットでそう言うと、ミコという犬がSHOUJOAについて階段を上って行った。SHOUJOAは、ミコを引き連れてそのまま学校の方へと向かっていく。一瞬、配信と被ってしまうということに焦った理人だったが、それを携帯電話のチャットで打つのももちろん間に合わず、結局二人は学校の前に着いてしまったようだ。しかし、配信中の画面を確認すれば、どうやら体育は既に終わっていて、校庭に参加者達の姿はもう無くなっていた。

 学校はSHOUJOAが作ったわけでも無いのに、何でそこに犬を連れていくのか。―――とは思ったが、それを言えるわけも無く。カイリも少し遅れて学校に繋がる道を歩き、バス停を横目に見ながらその目的地に着いた。三田が毎朝見ている景色はこんな感じなのだろうかと、理人は思いを馳せながら、校庭で待っていた一人と一匹について行く。どうやら教室に向かうようだ。


 キーンコーンカーンコーン


 徐にチャイムが鳴った。何が起こったのかわからず、理人はパソコンを見回すと、配信している方の画面で先生のような格好をしたJが、『お前らー、早く席につけー!』と言って廊下を歩いているのが見えた。カイリの画面を見れば、教室の前方からJが入って来る。



(まさかの生配信かよ!)



 完全に嵌められたのだと、理人が気が付いた時には既に遅かった。教室では、参加者達が慣れたようにそれぞれの席に座っていく。カイリが慌てて座れそうな席を探せば、一番後ろ、あの窓際の席が空いていた。斜め前にはもちろん、ミコという名の犬が座らされている。



(犬が授業受けるのかよ!)



 理人は、心の中で突っ込んだ。でも、周りを見回せば犬の前には黒いスキンのSHOUJOA。カイリの隣にはカボチャマン。カイリの前にはゾンビ君。全く人間らしくないそれらに、思わず笑みがこぼれる。



(もはや、カオスだな。)



 カイリ包囲網は完全に出来上がっているようだ。逃がす気はさらさら無いらしい。まあそういうことなら、今更逃げる気も無いけれど。



『では、学級会を始める!』



 Jが唐突にそう言うと、生配信のチャット欄は『はい』とか『hi』という良い返事で埋まって行った。理人も『うぃ』と打ちながら、キーボードがあれば間に合うそれに、これはもしかしたらそこまで考えられているのだろうかと、苦笑する。


 まさかのJまで巻き込んで、どうやら嵌められたらしい今の状況に、躊躇う気持ちはもちろんあったが、それでもこのまま乗せられてしまおうと理人は決めた。ミコが参加していてこの状況ということは、きっとそういうことなんだろう?と、理人の気持ちを知るSHOUJOAを背中越しに見る。何も答えないそれに、勇気をもらう。

 森に借りを作るのは癪だけれど、今このチャンスを逃せば、もう次はなかなか無いだろう。


「気持ちだけは伝えておいた方が良いよ。」と、珍しく優しい顔で言った岡ちゃんの言葉を思い出す。犬の前に座る黒いスキンのSHOUJOAが、画面の前でニヤニヤと笑っているような気がする。どうやら、自分はずいぶんと面倒見の良い友達に囲まれているらしい。―――そんなことを思いながら一度深く呼吸をした理人は、授業中にもかかわらず思い切ってカイリを立ち上がらせた。



『先生!』



 皆の顔がこちらを向く。ゲームのスキンなら視線など全く痛くない。



『まだあんたの番じゃない!』



 SHOUJOAが怒っているが、お構いなしだ。ここまで乗ってやったんだ。最後までそれに乗ったままでは格好が悪い。伝わるものも伝わらない。男は度胸だ。



『では、カイリ君!』



 SHOUJOAの発言を完全にスルーしたJが、それはそれは嬉しそうな声でカイリを指名した。









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