推しは神。風邪は万病の元。
帰りの電車の中、その写真が送られてきたのは、ユタ氏と相変わらず小説についてあれやこれやと議論していた時だった。
大好きな悪役令嬢物の小説が、コミカライズだけでは飽き足らず、いよいよ映画化されるらしいということで、大変盛り上がっていたのだが。お昼休みに作られたばかりのグループに、酒井の友達である岡ちゃんこと山岡君から届いた写真は、部屋着らしいくつろいだ服装で驚いた顔をしている酒井だった。明らかに不意打ちをくらったようなその顔に、思わず顔が綻ぶ。
「お?何やら楽しそう?」
もうすぐ降りる駅という事で、開く方の扉側に移動しながらユタ氏が笑う。晶子はそれについて行くようにしながら、スマホをユタ氏に見せた。
「もっさり男。」
「お、良い具合にもっさり。」
「良い具合って。」
ユタ氏の嫌味の無い言い方に、晶子は思わず笑う。風邪でずっと休んでいたのだ。いつもよりもっさりしているのは仕方がないことだろうと思う。その時、再びスマホが揺れた。どうやらグループに酒井が参加したらしい。とりあえず、『大丈夫?』とだけ送っておく。山岡君がもう酒井の家にいるということは、学校から随分近いお家なのだなと、そんなことを考えながら、普段見せない表情の彼を、晶子は眺めていた。
「彼、風邪ひいたらしくて、休んでるの。」
そうユタ氏に説明すれば、あまり興味なさそうに「ふーん」とだけ言ったユタ氏は、「そう言えば、カイリ様も最近休んでるよねぇ。」と晶子の顔を見た。そうなのだ。元々カイリ様は毎日必ず生配信に参加しているというわけではない。だからといって、連続してずっと休むという事も無く、週一か二ぐらいを不定期に休むというような感じだった。時期的にはテストの頃とか、学校の始まりの頃とかで、きっと学生なのだろうということが容易に想像できる。が、もう既に三日ほどになるだろうか。参加者の名前の欄にカイリ様の名前が無いのを確認するたびに、晶子はがっかりしていた。SNSに新しい情報もあがっていない。
「カイリ様も風邪を召されたか。」
「大事なければ良いのですが。」
クーラーがあちらこちらできき始める時期だ。晶子の席も、背中から吹き下ろすクーラーの風が冷たくて、来週からは上着を持って行くことにした。電車がゆっくりとホームに入って行く。スマホが再び揺れた。
『死んでる?』
あーちゃんは、文字でも言葉がきつくなるらしい。それでも、プリントの空欄を埋めてやるような優しさもある。今日のあーちゃんはとても心強かった。
電車が止まり、ドアが開く。ながら歩きは危ないからとスマホから目を離し、人の流れに乗るようしてホームの階段を上る。スマホが手の中で揺れている。ひよこやハムスターといった小動物のようなそれに、酒井が手の中にいるようで、晶子は妙にくすぐったく感じた。
自転車置き場であーちゃんと別れた後、酒井が参加したメッセージアプリのグループでは、あーちゃんのアイコンが中森明菜という母親世代のアイドルであることで盛り上がっていた。酒井が元気そうで良かったと思いつつ、今更ながら会話に入れないでいた晶子は、スタンプだけ送った。
――――――――――
噂をすればなんとやらとは、よく言ったものだ。その日の晩、Jのゲーム実況の生配信に、カイリ様の名前を見つけた。既に寝る体勢でそれを見ていた晶子は、思わず起き上がり、そしてホッとした。そして、SHOUJOAの名前も見つけて、あーちゃんがまた参加すると言っていたことを思い出す。もしかしたらそのためにカイリ様は参加したのかもしれない。―――そう思うと、自分がそこに入れないことをがっかりもした。でも、やきもちは焼かない。推しは神であり、皆のものなのだから。
(よし。明日はお休みだし、今日は最後まで頑張って見よう。)
そう晶子は心に決めて、再び布団に寝ころんだ。
相変わらず、画面に映らない地下帝国。配信者のJにイライラしてしまうのは間違っているのだろうけれど、せめて一瞬でも良いから映してほしい。―――そんな風に願っても届くわけも無く。カイリ様もSHOUJOAも、全く映らないまま配信は終わってしまった。最近は地下帝国に籠っているのか、背景のいちぶの如く走っている姿でさえ見ることができない。ブルーグレーのトレーナーが見たい。そう思って手を伸ばしたスマホで晶子が開いたカイリ様のSNSは、今まさにちょうど更新されたところだった。
『SHOUJOA工務店←ブラック企業』
(あーちゃん、やりすぎてる!)
晶子は笑いながら、まだ誰も書いていないコメント欄を見て、急ぎ何かを書くことにした。『友達がごめんなさい。』『早く転職した方が良いですよ。』『その工務店は友達が経営しています。』あれやこれやと思いついてはやっぱりやめて、書き込んだのは『大変そうですね(’;ω;`)でも、出来上がりを楽しみにしています!』という、やはりいつも通りありきたりなものになってしまった。
(距離感、大事!推しの幸せが私の幸せ。)
いつものようにそう自分に言い聞かせて、晶子は自分を納得させた。
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