暑くても戯れ、寒くてもアイスを食べる。それが若者。

 酒井が、どうやら風邪をひいたらしい。


 黒板に目を向けるたびに目に入る、ぽかんとひとつ空いた席。少しさみしく感じたのは、その前に座るあーちゃんが、後ろに誰もいないせいで全く振り返らないせいに違いない。


 お昼休みになり、いつものようにお弁当を持ってあーちゃんの所に行けば、あーちゃんは先ほどあった数学の授業のプリントに、何やら落書きをしているようだった。



「何、書いてるの?」



 晶子があーちゃんの後ろからそれを覗き込むようにして見れば、あーちゃんは振り返りながら「酒井のプリントに落書き。」とニヤリと笑う。その手元を見てみると、丸ッとした文字で『兄さん、安くしておきまっせ。1枚1万円でいかがでしょう。アッキーナ』と書かれていた。どうやら授業で使ったプリントの空欄を、酒井の分も埋めておいてあげたらしい。何やらチクリとしたものを感じた晶子は、自分も酒井に何かしてげたかったのだと気づく。



「アコも何か書く?」



 晶子の気持ちが伝わったのか、あーちゃんはシャーペンとプリントを差し出しながら、「今日は酒井の席、使っちゃお。」と完全に後ろを向いた。言われるがままに、酒井の机に弁当を置く。あまりゆっくりと昼食をとることの無い酒井の席に、不釣り合いなそれがとても可笑しくて、晶子は少し笑った。そして、自分のより少し高めな酒井の席に座れば、誰も座っていなかったはずの椅子が少し暖かく感じて、妙に恥ずかしい。

 シャーペンを受け取り、丸い文字の下に『↑ぼったくり。私は1枚9998円で。www。三田』と丁寧に書く。あーちゃんが自分のお弁当を引っ張り出してきて、机の上に置きながら、「この辺にも何か書いて。」と他のプリントを差し出した。いくつか書き込みのされているそれに、先ほどのちくりが戻って来る。それでも晶子は、酒井が笑ってくれたら良いなと思いながら、適当に絵やら言葉やらを書いていく。SNSのアイコンで使っている犬の絵は、得意中の得意だ。



「好きですとか書いちゃえば。」

「へ?」



 あーちゃんの思わぬ言葉に、晶子は固まった。好き?何が?好きって、なんだっけ?―――沸騰したかのように頭の中がぐつぐつし始めた晶子を、あーちゃんはニヤニヤとそれはそれは楽しそうに見ている。



「好きなんでしょ?」

「へ?」

「酒井のこと。」

「へ?」



 好き?誰が誰を?晶子は言われた意味を必死で探すが、どうやら見つかりそうにない。あーちゃんは一体、何を言っているのか。



「誰、が?」



 あーちゃんが、口を尖らせたようにしながら晶子を指差した。



「誰、を?」



 あーちゃんは、弁当が二つ乗った目の前の机を指差した。



「は?」

「は?じゃねーし!」



 口が開きっぱなしになってしまった晶子を見ながら、あーちゃんはケラケラと笑って、そして立ち上がった。

 手を洗いに行くついでに、先ほどのプリントと引き出しに溜まった手紙類を届けに行くらしい。前に教科書を取りに来た岡ちゃんと名乗った酒井の友達は、ちょうど教室の外でクラスメイトとぎゃあぎゃあ何かやっている所だった。



(酒井とは全くタイプが違いそうなのに、なんで仲が良いんだろ?男子ってほんと不思議。)



 晶子が呆れたように見ていたら、晶子とあーちゃんの存在に気が付いた岡ちゃんが、クラスメイトの腕を首に巻き付けたまま近づいてきた。



「モリミタじゃん、どしたの?」

「何?何?彼女?」

「紹介して!」



 かなりノリの軽いクラスメイト達がまとわりついてきて、少し腰の引けた晶子を守るように前に出たあーちゃんが、「ねえ、酒井の家ってわかる?」と岡ちゃんに聞いた。他のきゃあきゃあとうるさいクラスメイトは、無視するらしい。



「わかるよ。手紙?俺、持って行こうか?」

「あと、プリント。」



 そう言って、あーちゃんは手に持っていた数枚のプリント類を差し出した。そこには、先ほど落書きしたものも混ざっている。



「おけー。」



 軽い返事をした岡ちゃんは、それを数枚めくった後にニッと笑った。落書きが見えたのだろう。



「ねえ、モリミタの連絡先教えてよ。」

「お、何?山ちゃん、ナンパ?」

「やらしー!」



 無視されていることにも全く動じない男子たちが、岡ちゃんにまとわりついているが、彼は全く気にしていないようだった。晶子は、岡ちゃんが「山ちゃん」と呼ばれていることに違和感を感じて、岡山なのか、山岡なのか、そんなことを考えていた。

 そんな山岡だか岡山だかの岡ちゃんが、ポケットからスマホを取り出して、ほれほれとあーちゃんを急かす。あーちゃんは呆れたような顔をしながらも、同じようにポケットからスマホを取り出した。



「じゃあ、グループ作っておくね。アコにも招待送っておくから。」



 あーちゃんがそう言った時には、既にポケットでスマホが揺れていた。家族とユタ氏とあーちゃんぐらいしかいなかった晶子の電話帳に、男子の連絡先が追加されるなど誰が想像しただろうか。一言も発せないままでいた晶子を、あーちゃんが再び守るようにして「じゃ、よろしく。」と言って賑やかな軍団に背を向けた。

「またねー!」とか、「かぁわぁうぃうぃ!」とか、とにかく騒々しい。しかし、あーちゃんに背中を押されるようにしてそこから離れれば、彼らの興味はあっという間に離れたようで、また向こうできゃっきゃっと騒いでいる。



「男子、うぜぇ。」



 あーちゃんの変わらないきつい物言いが、今はとても頼もしかった。







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