恋するブルーグレー、再び。

 月曜日、もう喉に違和感は無かったし、熱も無い。さすがに学校をこれ以上休むわけにもいかず、理人は眠い身体を起こした。


 朝に体調が悪く感じるのは、寝不足とあとは単純に「学校に行くのが面倒くさい。」という、いかにも怠惰な理由だという事はわかっている。それでも、「まだ風邪が治っていないのではないか。」とダメ元で母親に主張してみた理人だったが、それはあっけなく却下された。しかもその後、「夜遅くまでゲームしてるから。」「中間テストひどかったんでしょう。」「もう少し勉強しなさい。」と、いかにも母親らしいお小言が始まってしまい、それを聞かされながら朝食を摂っていた理人は、ダメ元で主張したことをひどく後悔することとなった。



「学校、クーラーきいてるんでしょ?これ、持って行きなさい。」



 母親はそう言って、玄関で靴を履いていた理人にあのブルーグレーのパーカーを渡した。



「んなっ!」



 思わず受け取ってしまったそれに、思わず声が出る。何でよりによってこれなのか。他にも上着はあるだろうにと理人は思ったが、今更他のものを取りに行くのも、既に台所へと戻ってしまった母親に取りに行かせるのも、はっきり言って面倒だった。



「…行ってきます。」



 念のためにとしたマスクのせいで、言葉がこもる。

 あれ以来、三田がこのカイリ色のパーカーを着て来ることはなかったし、持って行くだけなら大丈夫だろうと、理人は軽い気持ちでそれを鞄に突っ込んだ。




 走って乗り込んだいつもより一本早いバスに揺られながら、土曜日の晩のことを思い出せば、朝から大きな溜息が出た。公言通りに現れたSHOUJOAは、地下帝国軍のメンバー全員を巻き込みながら、着々と地下鉄を広げて行った。それをうんざりとしながら手伝っていたのは、カイリぐらいなものだろうか。カイリ以外の帝国メンバーは嬉々として動き回っているように見えた。

 前回の地下帝国軍の小芝居だって、せっかく作ったからとSHOUJOAのためにセッティングしたようなものだ。今回だって、カイリは何もこんなものを作りたかった訳ではない。ただ地下に溜まった物資を、地上に運び出したかっただけだ。それだって、溜まってしまった原因は、SHOUJOAが地下を広げ始めて、運ぶのが面倒だからと、それらを収納するためのチェストを置きまくったことにある。

 段々と無くなっていくやる気に反比例するように、指示だけは飛んで来る。しかも、返事を打つタイミングは相変わらずもらえない。ひどい労働環境だ。───などと考えては、昨日SNSで呟いた『SHOUJOA工務店←ブラック企業』についた応援コメントを思い出し、この地獄も今夜でまずは一段落と、自分の心を奮い立たせて乗り切ったのだった。




 教室に着いて自分の席に荷物を置けば、既に座ってこちらを見ていた森が「おかえり!」と、相変わらずのキンキン声で言った。土曜日の晩で終わったはずの重労働が、再びここに戻ってきたようだ。理人は渋い顔をした。



「なんでそんなに嫌そうな顔!」



 そう言って森が苦笑する。マスクをしているのに何で分かったのか。―――理人は、森が実は魔物か超能力者なのではないかと、馬鹿なことを考えながら席に着いた。



「朝から元気だな。」



 理人が荷物を机の脇にかけながらそう言えば、「何?何?まだ調子悪いの?」と身体を乗り出してくる。「距離感。」と言ってその頭を手でぐっと戻してやれば、森は「むぅ。」と不貞腐れたような顔をした。お前がやっても可愛くないぞと、理人は心の中で呟いた。

 しかし、ふと思い出したように「あ、プリント関係、ありがとな。」と言えば、「高いよ。」と言ってにやりと笑った森を見て、悪い奴じゃないんだけどなぁと理人は思う。でも、ブラック企業であるSHOUJOA工務店の取締役社長はこいつだと思うと、げんなりとした気持ちが再び沸きあがった。

 チャイムが鳴り始め、担任が教室に入ってくる。それまで何やら話しかけてきていた森が、理人が特に何も反応しないことを気にする様子もないまま前を向いたのを見て、理人はホッとした。


 ホームルームが終わる頃、理人はぶるりと震えた。母親の言う通り、クーラーが随分ときいているらしい。少しだけ悩んだ理人だったが、仕方なく鞄に手を伸ばした。チャイムが鳴る。それに手をかけて引っ張り出した時、横にやってきたらしい存在に気が付いて顔を上げれば、驚いたようにそれを見る三田と目が合った。



「なっ!」

「ご、ごめん!」



 三田が、ブルーグレーのパーカーを着ていたのだ。それを隠すかのように、自分の身体を抱きしめるようにした三田が謝ると、それに気が付いて振り向いた森が「お!おそろじゃん!」と言って笑った。驚いて、この手に取ったパーカーをどうすべきかと固まっていた理人だったが、ショートカットになった三田のうなじに溜まるフードが、暖かそうで良いなと、気が付けばまさかの現実逃避だ。恋は盲目とはよくいったものだ。

 一番後ろの席はクーラーの風があたるのだと、しどろもどろに説明する三田が可愛い。パーカーを手に持ったままそれを見ていると、「早く着たら?」と森が言った。



「え?」

「寒いんでしょ?風邪、ぶり返すよ。」



 そう言って、ほれほれと両手を振った。もう一度、三田の方を見れば、すごく申し訳なさそうな顔をして、「私とお揃いなんて、嫌だよね。」と言う。



「え?」

「そんなわけ無いよねぇ。」



 森が意味深げに笑ったことにイラっとしたが、気にしないフリをして「三田は嫌じゃない?」と理人は聞いた。



「私は、大丈夫だけど。」



 そう言って、恥ずかしそうに俯いてしまった三田がやっぱり可愛い。大き目のパーカーの袖が長くて、萌え袖になっているのも可愛いさにスパイスを足していて、とても良い。



「おい、酒井。はよ着なはれ。」



 森が理人の机に頬杖をついてそう言ったので現実に戻ってこれた理人は、もう一度三田を見て、彼女が恥ずかしそうにしながらも何も言わないのを確認してから、それを着た。申し訳ない気持ちでもう一度三田を見上げれば、「お揃い、だね。」と言った三田が、その裾を引っ張りながらブルーグレーのパーカーを嬉しそうに見せた。


 心臓がぐわしと何かに捕まれた、気がした。


 マスクをしていて良かったと心から思った。耳まで赤くなっていそうではあるが、もうそれらも今更だ。森がにやにやと笑っている。チャイムが鳴る。「じゃあね。」と照れくさそうに手を振った三田が、後ろの席へと戻って行く。


「く、苦しい。」と言って胸を押さえると、まだこちらを向いていた森が「キュン死寸前。」と言って笑った。完全に気づかれているらしいが、そんなことは今の理人にとって、もうどうでも良かった。






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