降り出した雨は、スタートの合図。

 あーちゃんが、Jのゲーム実況の配信に再び参加するらしい。


 朝のホームルームが終わって、後ろの席の酒井と何やら話しているらしいあーちゃんの所に行けば、そんな会話が聞こえて来た。



「昨日、Jからメッセージ来てさぁ。カイリが何か新しいこと始めたらしいんだけど、あんまりお洒落じゃ無いって嘆いてるらしくてさぁ。」



 あーちゃんの満更でもなさそうな言い方に、思わず晶子の口元が綻ぶ。



「良いなぁ。またカイリ様に会えるんだ。」



 それは晶子の本心でもあるのだが、だからと言って自分が参加したいのかというわけでもないことは、前々から変わらない。



(推しとの距離感!これ、大事。)



 そう、心の中で呟く。

 晶子の参加を既に諦めているあーちゃんは、今度は酒井を巻き込みたいらしく「一緒にやろう」と誘うのだが、どうやら彼は興味が無いらしく、既に睡魔と戦ってらしい。いつも通りと言うべきか。あまり聞いていないような彼に、あーちゃんはいつものようの大きな声でまくし立てている。


 酒井はいつでも眠そうで、本当に謎の多い人物だ。ブルーグレーのパーカーはあれ以来見ていない。今後、着て来ないのか聞いてみようかどうしようか、晶子はそんなことを考えていた。



「もう寝てんのかよ!」



 どうやら話を聞いていなかったらしい酒井をあーちゃんがケラケラと笑うので、晶子もつられて笑う。



「ねぇえぇ!Jの生配信、酒井もやろうよぉ。」



 あーちゃんが酒井の腕を掴みぐらぐらと揺すると、「俺も、参加したこと、あるし。」と酒井が言った。



「まじで!?」

「そうなの?結構、みんなやってるんだぁ。いつ頃?」



 まさか彼も参加済みだなんて。―――と、晶子は目を見開き、思いきりその話に食いついた。結構昔からその生配信を見ていたつもりの晶子は、もしかしたら彼を見たことがあったりするのかもとテンションが上がる。



「かなり、昔。三田は?やらないの?」

「へ?」



 急にこちらに話を振られて、晶子は一瞬戸惑う。酒井がどんな名前でどんなスキンで何をやっていたのか、ぜひとも聞かせて欲しかったのに、話を逸らされたのかもしれない。―――そう思うと、晶子は少しさみしく感じた。



「キーボードの操作が壊滅的なの。それに、カイリ様にストーカー認定されたらやだし。」



 そう言って晶子は酒井の様子を伺うが、立っている晶子からは俯いてしまった彼の表情はよくわからない。きっと話しづらい何かがあるのだと、晶子は根掘り葉掘り彼に聞くことを、残念に思いながらも諦めることにした。





 ――――――――――



 午後の授業が間もなく終わる頃から降り出した雨は、その強さを増して、昇降口は帰るに帰れない生徒たちでごった返していた。最近の雨は突然降り始めるので、晶子の鞄の中には折り畳み傘が常に入れられている。入れっぱなしになっているだけとも言えるが。もし急な雨でそれを使っても、次の日の朝にはまた鞄に入っている。



(お母様、いつもありがとう。)



 今日も傘が入っていることに感謝をし、それを取り出そうとしていたところに、空を見上げながら昇降口の屋根がかかっているギリギリの所で、酒井が佇んでいるのが見えた。たまに走り出そうとするかのように前のめりになるが、躊躇してやめる。そんなことを繰り返している姿が可愛らしい。



「傘、無いの?」



 晶子はふふっと笑いながら酒井に声をかけ、傘を手に取ってから「酒井は、バスだっけ。」と彼を見上げると、振り返った彼と目が合った。



(思ったより背、大きいんだ。)



 急に声をかけられて驚いたのだろうか、酒井はこちらを見たまま固まってしまった。酒井の向こう側で、雨はまだ容赦なく降り続いている。晶子は手に持った傘を一度見てから、「バス停まで、一緒に入ってく?」と言った。



「へ?」

「バス停まで入れてあげる。」



 晶子がそう言いながら折りたたまれた傘を開いていくと、彼は口ごもり、そして慌てて手を振った。



「あ、他の人に見られると嫌か。」



 そりゃ、そうだわ。――と一人納得した晶子だったが、「いや、ちが。そんなことない、けど。」と、酒井は慌てて否定した。



「じゃあ、入っていきなよ。バス停まで行けば屋根あるでしょ。」

「大丈夫。俺、走る。なんなら、少し待ってれば、岡ちゃん、来る。」



 焦ったように否定する酒井は、きっと入りたくないのだろう。晶子は傘を持つ手を引っ込めた。思わず出た「そっか。」という言葉に、晶子は自分が思っていたよりも残念に感じていたらしいことに気が付く。すると、酒井は急に焦ったように「あ、その、でも、一緒に行ってもらえると、その、嬉しい、です。」と言った。

 

 言われた言葉の意味が分かるにつれて、みるみると顔が赤くなっていくのを感じる。



(やばい!自意識過剰が過ぎる!)



 晶子は、赤くなっているであろう顔を隠すために下を向く。酒井はたまにこういうことを言う。



(私、慣れてないんだからね!)



 ドクドクと鳴る心臓の音が恥ずかしい。こんな自分は、少し気持ちが悪い。酒井がそう思わなければ良いと、晶子は少し不安に思った。

 そんな晶子の事を気にする風も無く、「持つよ。」と酒井が手を伸ばし、晶子の手にあった傘を奪い取ってしまった。晶子は恥ずかしくて、酒井の意外にも綺麗な、血色の良い手を見ながら、とにかく笑って誤魔化した。

 


「森は?一緒じゃないの?」

「あーちゃんは、部活。」



 降りしきる雨の中を歩き始めれば、酒井の方から話題を振ってくれた。晶子にとって、それはとてもありがたいことだった。雨音に負けないように、しっかりと答える。

 


「物理部なんだよ。意外でしょ。」

「うん。意外。」



 そう言って、赤信号で足を止める。傘がこちらに傾けられたことに気が付いて、そっと酒井に近づいた。せっかくの一緒に入った傘なのに、変に気を遣って濡れてしまっては元も子も無い。



「建築関係の仕事につきたいんだって。」

「結構、まじめなんだな。」

「あ、ひどい。あーちゃんに言ってやろ。」



 そんなことを言い合って笑っている内に、信号が青になった。横断歩道を渡ってしまえば、バス停はもう目の前だ。



「あ、ありがとう。」



 酒井が晶子を見て、照れくさそうにお礼を言った。バス停に、着いてしまった。―――そんな感情が晶子の胸に沸きあがる。もう少し話していたいような、そんな感覚に戸惑いながら、晶子はそれを誤魔化すように、「じゃ、また明日。」と小さく手を振って、そのまま駅の方へ歩き出した。


 いつもとは違う左側の歩道。慣れない気持ちに足元がふわふわとしている気がする。顔が赤くなるのは、湿度の高い空気のせいか。

 晶子は落ち着かない心臓を誤魔化すように、跳ねる雨水を蹴散らしながら駅へ向かって走った。








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