届けられたプリントは、彼女への架け橋となりうるか。
すぐに止むだろうと思っていた雨だったが、雨雲がバスと共に移動したのだろうか。結局、雨は止まないまま、理人の乗ったバスは家の近くのバス停に着いてしまった。
家まで送ってくれるという岡ちゃんの申し出を理人が断ったのは、小さな折り畳み傘で、岡ちゃんと相合い傘をするという状況に我慢できると思えなかったからだ。しばらくバス停で雨宿りをしていたのだが、いよいよ暗くなっていく空に諦めて、ヘッドホンの入ったリュックを守るようにして、雨に濡れながら走って帰った。
家に着いた時には、靴も制服もびしょびしょだった。
夜になり、生配信に参加する頃になると、少し喉が痛む。―――理人はそれに気が付かないフリをしながら、いつものようにパソコンの前に座っていた。今日もカイリは、運搬機をせっせと作成中だ。開始直後にSHOUJOAの名前を探してみたが、今日はまだ来ていないようだった。
雨のせいで蒸し暑いはずの部屋が、少し寒く感じるのは気温が下がっているからだろうか。
まあ、概ね想像通りではあるのだが、朝になればいよいよ声は出なくなり、身体中がきしきしと痛む。理人はそのまま、週末まで学校を休んだ。
――――――――――
「何だよ。元気じゃん。」
金曜日の夕方に、制服姿で家までやってきた岡ちゃんは、玄関で理人の顔を見るなりそう言った。熱は昨日の朝の内に下がったのだが、今日もだるいフリをして、ズル休みを決め込んだのだ。
「山岡君、あがっていくでしょ?シュークリーム食べる?」
仕事から返って来たばかりの母親が、台所の方から顔を出し、当たり前のようにそう言うと、岡ちゃんは「良いんすかぁ?じゃあ、お邪魔しまーす。」と、慣れた感じで靴を脱ぎだした。岡ちゃんとは、小学校からの古い付き合いだ。勝手知ったる我が家の如く玄関に背負っていた荷物を置くと、「あ、トイレ借りまーす。」とそこにある壁のスイッチを押して電気を付け、脇の扉を開けてトイレに入って行った。
(自分ちかよ。)
岡ちゃんは、小学校の頃はそれなりに遊びに来ていた。母親が言うには、ほぼ毎日だったらしいが。久々とはいえ、色々今更だ。
自分の部屋のパソコンの前に座りながら、岡ちゃんが来るのを待っていると、シュークリームと飲み物が載ったトレーを持った岡ちゃんが部屋に入って来た。どうやら、母親に持たされたらしい。
「あら、理人君、いらっしゃい。ゆっくりしていって。」
「お前んちかよ!」
母親の真似をした岡ちゃんが、笑いながら持っていたトレーを机に置く。ほとんどパソコンに占められているそこは、既に勉強するためのものでは無い。
「ほら、プリント。」
どうやらトレーの下に持っていたらしい数枚のプリントを、岡ちゃんが理人に差し出した。三日分のプリントは、親宛のもの以外に、授業関連のものも多くあった。書き込み式で授業を進めたのだろうか、プリントには既に文字が書いてあるものもある。まるっとした文字に、それが女子だと当を付ければ、裏に同じ字で書かれた森からのメッセージが書いてあった。
『兄さん、安くしておきまっせ。1枚1万円でいかがでしょう。アッキーナ』
そう書かれた下には、それとは違う字で『↑ぼったくり。私は1枚9998円で。www。三田』と書かれていた。
思っていたよりも綺麗なその字を、理人は指でなぞる。
「やらしー!」
それは、もう本当に無意識だった。聞こえて来た言葉にはっとして顔を上げれば、ベッドに胡坐をかいて座っていた岡ちゃんが、それはもうひどいニヤニヤで理人を見ていた。ぼんっという音がしそうな勢いで顔が赤くなったのがわかる。
「うるせー。」
その顔を隠すように俯きがちなまま他のプリントも見て行けば、あちらこちらに二人の落書きがされていた。後でゆっくり見ようと、理人は椅子を滑らせて、それらをベッドの脇に置かれたままの鞄の上に置いた。
「三田ちゃんたち、心配してたよ。」
「嘘つけ。」
「嘘なんかついて、どうすんだ。」
そう言って、岡ちゃんが苦笑する。そして、「ほらほら理人。こっちこっち。」と言って、岡ちゃんが徐にこちらに向けた携帯電話からカシャーっと音がした。
「何だよ。」
「届けたって言う証拠写真。」
岡ちゃんはそう言いながら、携帯電話を操作する。
「送信!っと。」
「どこ、送ってんだよ!」
立ち上がりそれを奪い取れば、画面には『森ちゃん&三田ちゃん』と書かれたグループにメッセージが送信されたという表示がされていた。
「何、やってくれっちゃってんの⁉」
理人が興奮したように裏返った声でそう言えば、「だって、送ってくれって言われてるんだもん。」と悪びれもせず岡ちゃんは言った。しかもその、とても楽しそうな顔に、理人はがっくりと肩を落とす。
「良いじゃん。減るもんでもなし。」
「減る。」
主に、気力が。―――そう、心の中で呟いた理人は、「俺、三田の連絡先、知らないし。」と思わず愚痴をこぼした。
「三田ちゃんもそう言ってた。だからね、ほい。」
岡ちゃんがそう言ったと同時に、机に置かれたままの理人の携帯の通知音が鳴る。それを手に取って見てみれば、先ほどのグループへの招待だった。癖のように『参加する』のボタンを理人は押した。
少し落ち着かない気持ちのままその画面を見ていれば、『大丈夫?』というメッセージが送られてきた。アイコンが見慣れたあの犬のぬいぐるみであることで、それが誰だかわかる。妙にホッとした後、入力の遅い理人は、文字を打つのを諦めてスタンプを探す。
『死んでる?』
スタンプを選び終える前に送られて来たメッセージは、森からだろうか。妙にレトロなアイコンが気になって、それを拡大してみると、そこには不貞腐れたようにこちらを睨む黒髪の少女とそこに書かれた『少女A』の文字。そして、その右下に『中森明菜』と書かれていた。
「少女Aか!」
ずっとスッキリしなかった『SHOUJOA』の読み方が、ここにきてやっとわかるとは!―――理人が驚いたようにそう言えば、岡ちゃんは既に気が付いていたようで、にやにやと笑っていた。
『中森明菜。草。』とメッセージを送る。すぐに既読になったそれに、『私は私よ。関係無いわ。』と森から返信が来る。『あ、これ。歌詞の一部ね。』と解説つきだ。そこに、三田が笑っている犬のスタンプを押した。
理人は妙にふわふわした気持ちになって、しばらくそれを見ていたのだが、「なあ、なんかゲーム無いの。」という岡ちゃんの声で、一気に現実に引き戻される。既に机を探っていた岡ちゃんに理人はニヤリと笑い、「久々にいっちょやるか。」と言って、モニターの電源を入れた。
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