放課後のにわか雨は、その距離を近づける。

 午後の授業が間もなく終わるという頃から、妙に暗いなとは思っていた。


 最近の雨は突如降り始める。急に振り出した雨に、昇降口で理人はまだ真っ暗な空を眺めていた。

 今日は急に温度が上がったせいか、どうやらにわか雨らしい。昇降口から見えるバス通りの向こうの空は、日差しが差しているように見える。

 すぐに止むだろうことはわかっているのだが、それがいつかはわからないとなると、待つべきが待たざるべきか、悩ましいところだ。


 帰りのホームルームで、明日の数学の授業の時に小テストがあると係の方から発表があった。岡ちゃんから教科書は返ってきていないが、だからといって家で勉強するかと言えば、微妙だと理人は空を見上げながら考えていた。

 走って行けば、それほど濡れずに済むだろうか。教科書を返してもらうために岡ちゃんを待つべきだろうか。なかなか決断をできないまま、傘を差して昇降口を出て行く他の生徒たちを見送っていた。



「傘、無いの?」



 何気ない言葉なのにどこかくすぐったい声が聞こえ、理人が振り返ると、三田が鞄から折り畳みの傘を取り出しているところだった。


「酒井は、バスだっけ。」と言って、三田が顔を上げた。目線が合う。

 思ったより背、小さいんだな。───そんなことを考えていたら、三田が「あー。」と言って、自分の手に握られている折り畳み傘を見つめる。再び理人に目線を戻して「バス停まで、一緒に入ってく?」と言った。



「へ?」



 理人の口から出た唖然としたような言葉に三田は笑うと、「バス停まで入れてあげる。」と傘を持ち上げて見せた。



「え、あ、いや。」



 理人は口ごもり、慌てて手を振った。そんなの、嬉しすぎる。でも、だからと言って心臓が持つ気がしない。自分がバスで帰ることを知ってくれていることさえ、こんなに嬉しいのに。


「あ、他の人に見られると嫌か。」と、三田の一人納得したような様子に、「いや、ちが。そんなことない、けど。」と、理人は慌てて否定した。嫌なわけない。そうじゃない。



「じゃあ、入っていきなよ。バス停まで行けば屋根あるし。」

「大丈夫。俺、走る。なんなら、少し待ってれば、岡ちゃん、来る。」



 焦って単語の羅列のようになってしまったが、三田は「そっか。」と少しさみしそうに傘を持つ手を引っ込めた。



「あ、その、でも、一緒に行ってもらえると、その、嬉しい、です。」



 言ってしまってから、顔が赤くなっていくのを感じた。三田のさみしそうな雰囲気が、どうも苦手なのだ。もっとましな言い方があっただろうと、気がついても時既に遅し。こんなことなら最初から「悪いな。」とでも言って、入れてもらえば良かったのだ。

 みるみる内に赤くなっていく三田の顔。きっと自分はもっと赤くなっているのだろうと、理人はもう格好つけるのも誤魔化すのも何もかも、諦めた。

 きっと、彼女はこんな格好悪い自分を「気持ち悪い」と言うことは無いだろうし、嫌なら元々声はかえてこないだろう。何より、三田にそんな顔をさせたことが、理人は少し嬉しい。そう開き直れば、少し気持ちも落ち着いた。


「持つよ。」と言って、理人が傘を受けとると、三田は少し恥ずかしそうに笑った。

 歩き始めれば、バス停はすぐそこだ。急いで会話を見つけなければすぐに着いてしまう。降りしきる雨の中、バス停に向かおうとする生徒はほとんどおらず、バス停には屋根がついているとはいえ、まだ数名しか並んでいないようだった。



「森は?一緒じゃないの?」



 いつも不思議に思っていたことだ。女子は行きも帰りも、移動もトイレも一緒にいるような、理人にとってはそんなイメージだった。



「あーちゃんは、部活。」



 予想していた通りの答えだったが、それでも森と部活がどうも似合わない気がした。



「物理部なんだよ。意外でしょ。」

「うん。意外。」



 そう言って、理人が赤信号で足を止めると、同じように立ち止まった三田は、楽しそうに笑っていた。

 折り畳み傘では防ぎきれない雨が、肩を濡らす。それでも、三田さえ濡れなければ良いとそちらに傾ければ、三田は何も言わずに理人にちょっぴり近づいた。蒸れた髪の匂いがした。



「建築関係の仕事につきたいんだって。」



 友達を自慢するかのような言い方が可愛くて、そして途切れない会話にホッとして、理人は少し肩の力が抜けた。


「結構、まじめなんだな。」と言って理人が笑う。「あ、ひどい。あーちゃんに言ってやろ。」と三田も笑った。


 信号が青になり、歩き出す。横断歩道に溜まった雨水が、凄い勢いで流れていく。

 バス停はもう目の前だ。



「あ、ありがとう。」



 バス停に、着いてしまった。バス停の屋根の下に収まった理人は、傘を渡しながらお礼を言う。さみしくもあったが、それ以上にホッとしていた。短くも長くも感じる時間だった。

 三田は「どういたしまして。」と言いながら、照れたように笑い、「じゃ、また明日。」と小さく手を振って、そのまま駅の方へ歩き出した。


 いつもとは違う左側の歩道を歩いていく三田が新鮮で、しばらくその背中を見送っていれば、突然かくんと膝裏を突かれ、理人はコケそうになった。慌てて振り返れば、後ろで岡ちゃんがにやにやと笑いながら立っていた。

 実は下駄箱から既に二人のやり取りを見ていて、絶対に見つかってはならないと隠れながらついて来たのだと、折り畳み傘を畳みながら岡ちゃんは言った。

 理人はそんな岡ちゃんを睨んで、「岡ちゃんに、折り畳み傘は似合わないよ。」と言えば、「この時期は必須っしょ。」と得意気だ。



「あ、これ。サンキュ。」



 既に濡れていそうな鞄から、くるくると丸められた数学の教科書を、岡ちゃんは理人にほいと差し出した。そこそこ綺麗だったはずのそれの端が、くるんと捲れていることに少し苛立った理人は、「授業終わったら、すぐに返せよ。」と怒って見せれば、「ごめんごめん、テストのあまりの不出来に凹んでた。」と岡ちゃんは悪びれもせずに言った。



「そういえば、教科書借りに来たとき、何で三田の名前出したんだよ。」



 理人の言葉に、岡ちゃんはとても不思議そうな顔をする。



「へ?何だっけか?」

「森ちゃんと三田ちゃんね。俺、岡ちゃん。──って、お前、三田の名前聞いてねえし。」

「へ?そうだっけ?」



 何も考えてはいなかっただろうとは思っていたが、その事実さえ忘れられていた。せっかくの岡ちゃんの真似だが、それについては何も言ってくれなかった。



「アコの名前、知ってんの、草。って、森に言われた。」



 そう森の真似をしてみれば、「似てる!」と言って岡ちゃんが笑う。



「そういう問題じゃない。」

「あはは、すまそ。でも、森ちゃんにはどうせもうバレてるんだろ?」



 岡ちゃんは、そう言って笑う。理人が納得のいっていないという顔をすれば、「理人は思ったことが顔に出過ぎなんだよ。」と笑われた。







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