恋するバクテリア。

 三田から逃げるようにして学校を出た理人が、校門の向かい側にあるバス停でバスを待っていれば、いつものように岡ちゃんが口笛を吹きながらやってきた。なんとなく今日は会いたくなかったが、そんなことを口に出せるわけがない。



「なんでそんな嫌そうなんだよ。」



 岡ちゃんは会って口を開くなり、苦笑しながらそう言った。どうやら今回もまた顔に出ていたらしい。俺の表情筋は一体どうなっているんだ。―――と、理人は眉を寄せた。



「わかった。あいつと何かあったんだろ。愛しのフォロワーちゃん。名前なんだっけ?」



 なんでそこまで勘が良いのだと、理人は岡ちゃんを睨む。名前なんて教えたら、教室にまでやって来て、余計なお節介をしそうだと思って口を噤む。



「なんだよ、けち。」



 岡ちゃんと表情だけで会話していることに気が付いて、「人の心を勝手に読むな。」と理人は苦笑した。最近誰かに何度も言ったような言葉だなと、理人は思う。それでも、岡ちゃんの場合は図星をついてくるから余計に質が悪い。



「じゃあ、当たりってことか!」



 岡ちゃんは嬉しそうに腰をかがめて、理人の顔を下から覗き込むようにして、「で、何があったの?」と聞いてきた。



「何も。それよりさ、今日の配信なんだけどさ。」

「話逸らすなよぉ。しようよぉ。恋ばな。」



 力業で話を逸らそうとしたことも、岡ちゃんにはばれていたらしい。



「男同士で恋ばなとか、無しでしょ。」

「え、俺、大好物。」



 じゅるりと岡ちゃんが口に手を当てた時、校門から三田が出てくるのが見えた。



「あれ?あの子だろ?」



 驚いて岡ちゃんを見る。三田をまともに見たことなど一度も無いはずだ。この前、バスの中から小さくなっていく三田を、必死になって見ていた岡ちゃんを思い出していると、「ぶっは!当たり!ポニーテールってだけでカマかけてみたんだけど。」と言って、岡ちゃんがお腹を抱えて笑いだした。



「うるせえ。」

「あはは。ごめん、ごめん。」



 岡ちゃんは、理人が本気でイライラし始めたのを察知するかのように、ピタっと笑うのをやめた。

 三田がポケットから携帯電話を出して、チェックしながら歩いている。目の前を通り過ぎていく彼女を、目線が追う。逃げるように出てきたことが、裏目に出た形だ。



「めっちゃ見るじゃん?」



 笑うことなく岡ちゃんが言うので、「三田見病だ。略してMMB。」と答えてやった。



「なんだ?それ。」

「気がつけば三田を見ちゃう病。」

「ぶはっ!まじじゃん。で、三田っていうのか。彼女。」



 思わず名前を言ってしまったことを、理人は後悔しながら、去って行く三田の後姿を、身を乗り出すようにして見ている岡ちゃんの首根っこを引っ張った。



「やめろよ。」

「なんだよ。俺にも見せろよ。」



 馬鹿みたいな攻防をしていたら、そこに聞き慣れた音がしてバスが入って来た。理人、岡ちゃんの順でそれに乗り込む。後から後から入って来る学生に潰されそうになりながらも、運転手の右手前の席の手摺は確保できた。


 パーっという音がして、ドアが閉まったのがわかった。がたんと揺れてバスが走り出せば、もうほとんど見えなくなっていたはずの三田が、また近づいてくる。

 岡ちゃんが身体を乗り出し、それを必死で見ようとするのを「まじでやめろよ。」と言って制止しようとするが、暖簾に腕押し、豆腐に鎹。



「可愛いじゃん?」

「知るか。そんなこと。」

「もったいぶるなよ。」

「そんなんじゃねぇ。」



 バスがスピードをあげ、三田があっという間に見えなくなってしまったことにホッとしていると、「声かけたりしたの?俺がカイリ様だぜぇって。」と、岡ちゃんがドヤ顔をした。



「するわけないだろ。」

「じゃあ、話したことも無いのかよ?」

「いや、そんなことは流石にないけど。」

「席は?近いの?」



 ぐいぐいと来る岡ちゃんにたじろぎながら、それに押されるようにして理人は答えていく。バスが揺れて、岡ちゃんの肩がぶつかる。どうやら赤信号で停まったようだ。



「斜め前。」

「何それ!美味しい!」

「何がだよ。」

「消しゴム、わざと落として拾ってもらったり。」



 そういえば、落とした消しゴムを拾おうとしていた三田は、自分を見た瞬間に「げっ。」て言ったんだだったなと思い出し、理人は少し凹んだ。



「あれ、でも気をつけねぇと変な方転がっていくから。」

「やったことあんのかよ。」

「ある。ある。当然っしょ。」



 岡ちゃんが楽しそうに笑う。再びバスが揺れて、景色が動き出す。



「指されて答えられないでいたら、そっと答え教えてくれたり。」



 監視カメラでもついているのだろうか。驚き見開いた理人の顔を見て、「うわ。まじ?俺、天才。」と岡ちゃんも驚いた顔をして言った。



「なんでわかんの?」

「いや、ていうか。ありがちパターンじゃね?」

「そお?」

「全く意識してなかった子でも、それやられたらクラっとしちゃうよね。」

「いや、それは。」



 理人はそこまで言って口を噤む。



(クラッどころの問題じゃない。)


「そっかぁ。それ、やられちゃったかぁ。」



 岡ちゃんがニヤニヤと一人で納得しているのを見て、理人はもう諦めの境地だ。岡ちゃんに敵うわけがないのだ。それはもう、昔から。バスがギアチェンジの度に大きく揺れる。



「でも、まともに話したことも無いのに、好きとか恋とか、関係ないだろ。」

「一目惚れなんてものがあるんだし、普通にありじゃね?」



 そんなものなのだろうか。その人の性格とか、趣味とか、大事なのはそういうことだと思うのだけれど。―――と、理人が首を傾げていると、「持っているバクテリアの相性らしいぜ。」と岡ちゃんが言った。



「は?バクテリア?」



 突拍子もない発言に、理人が笑いながらそう言うと、岡ちゃんは真面目な顔になって理人の方に手を差し出した。



「動物的な本能みたいなものでさ、手を繋ぎたくなるのもキスしたいと思うのも、バクテリアの交換なんだと。無意識の内に匂いとかで、その相性を判断しているらしいよ。」

「え?まじで?」

「嗅いだか。」

「嗅いでねえ!」



 あはは、と岡ちゃんが笑う。もうすぐ次の停留所に着くのか、バスがスピードを落とし始めた。


「いやあ、理人と恋ばなする時が来たかぁ。」と、岡ちゃんが嬉しそうに言い、「バクテリアは、恋ばなじゃなくね?」と理人がツッコミを入れた。









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