言えなかった言葉。見失った想い。

 気が付けば、昼休みになっていた。


 ―――なんてことはさすがに無いけれど、それでもそれに近いものがあった。

 先生が黒板に書いたものを写していたはずのノートは、鉛筆で描かれたミミズの這った跡だらけだし、俯いて寝ていたのか、首から背中にかけての背骨の辺りがきしきしと痛い。晶子は首を押さえながら、頭を右へ左へと動かす。その度にコキコキと音がして、少しだけ小気味いい。


 数学の山田の授業が無かったのが幸いだった。奴の授業で寝ているのが見つかれば、強烈な雷が落ちただろう。そんなことを考えながら、晶子は机の上にあった教科書やノートを片付けていく。


 やはり、Jの配信を最後まで見てしまったのが良くなかった。それでも、カイリ様の呟きを、その投稿直後にコメントできたのだけは良かったけれど。



(カイリ様は学生だと思い込んでいたけど、本当は社会人なのかなぁ。毎日あんな時間までゲームできる環境の人って、なかなかいないよね。)



 昨日の一晩をいつもより夜更かししたというだけで、今日の授業はからっきしダメだったのだ。学生があの配信に参加しているとしたら、学校生活そのものがそれこそからっきしになってしまうと晶子は思った。


 鞄からお弁当を引っ張り出しながら、前の席で机の上を片付けているあーちゃんの背中を見た。いつもなら休み時間の度に話しかけてくるはずのあーちゃんも、「昨日、めっちゃ夜更かししてさ。」と朝からひどくローテンションで、休み時間でさえもウトウトしているようだった。そのためか、その日の午前中はとても静かだった。で、気が付けばお昼休みというわけだ。


 晶子がお弁当を広げていると、あーちゃんが鞄からコンビニの袋を出してきた。あーちゃんはいつも、彼女には似つかわしくないようなシンプルなお弁当を持ってきていたのに、どうやら今日のお昼ご飯はコンビニで買って来たらしい。



「コンビニなんて、珍しいじゃん。」



 晶子の声にあーちゃんが振り返り、「朝、起きれなくて弁当作れなかったの。」と、珍しく弱弱しい声で言った。



「ええ⁉あーちゃん、自分でお弁当作ってるの?」

「作ってるって言っても、昨日の残りのおかず詰めたり、時間がある時に卵焼くぐらいだよ。」

「それでもすごいよ。」


(私なんて、毎朝、台所のテーブルの上に出来上がって置いてあるそれを鞄に入れるだけだ。)



 料理は大嫌いというわけではないが、率先してやろうとは思わないし、やる必要もないのだ。晶子の家には母という存在がいる。専業主婦ではないけれど。


 あーちゃんが立ちあがり、椅子を回転させてこちらを向いて座る。晶子の席に、サンドイッチが入っているらしいビニール袋が置かれた。



「うち母さん、働いてるからさ。」

「いや、うちも働いているし。」

「うち、父さんいないから。夕飯も結構作る。」



 思わぬ言葉に晶子は固まった。最近、母子家庭は本当に多いし、今までだってクラスに数人はいた。いちいち確認するわけでも無いし、晶子が知っている以上にいてもおかしいことでも全く無い。それなのに、妙にショックを受けていた晶子は、その理由もわからないまま、あーちゃんを見た。


「そんな驚かなくても。」と、あーちゃんが苦笑する。

「あ、ごめん。」



 それでもやはりうまく言葉が出て来なかった。自分がなんでこんなにショックを受けているのか、どんな言葉をかけたら良いのか、晶子には全く分からない。経験値が足りなすぎた。



「聞かれてもいないのに、わざわざするような話でも無いしね。離婚じゃなくて死んじゃった方だから、なんとなく言うタイミングも無くてさ。」



 あーちゃんによって瞬く間に付け足されていく言葉が、なんだか晶子が攻めているような感じになって、晶子は首を横に振る。そうじゃない、そうじゃない。でも、良い言葉が浮かばない。



「ごめんね。」

「ち、ちがうの。」



 やっと出た声は、思ったよりも大きいものだった。焦って周りを見回すが、お昼休みだ。誰もこちらのことなど気にしていないし、賑やかなままだ。



「あの、…えと。」



 気の利いた言葉も、自分が今何を思っているのかも、頭には浮かんでこなかった。今まで人と関わることを極力避けて来た弊害だと晶子は自分を責める。でも、そんな場合でもない。



「いつか言わなきゃとは思っていたんだよ。でも、」

「ごめん!ちょっと待って。」



 なんとかあーちゃんの言葉を止めた。問題はこれからだけど、未だ何をどう言うべきかはわかっていない。



「あのね、違うの。違うのよ。」

「何が?」

「だから、その。」



 あーちゃんが、じっと晶子を見ている。晶子はそれに焦るばかりだ。


「はぁ。」と、あーちゃんが溜息をついて「早く食べよ。昼休み終わっちゃう。」と話を終わらせてしまった。



「見て、あいつ。まだ寝てる。」



 晶子の斜め後ろを指差して、あーちゃんが呆れたように笑う。彼女の中で、完全にこの話は終わってしまったようだ。晶子の中で、まだ形にならない考えが、言葉にならずに燻った。






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