第6話 夢の中の砂漠の中の

夢といえば不思議な体験をしたことがあります。

悪夢と言えば悪夢なのですが、はっきりそう断言できないと言いますか。

夢の中で誰かに出会った経験はありますか?

数年ほど前の話ですが、不眠に悩まされた時期がありました。理由としては、仕事のストレスだったり、生活のリズムの崩れだったり、色々あったのですが、この話に直接、関係はないので割愛します。

不眠は辛いものでした。

眠りたいという意思はあるのに、意識が覚醒して眠りにつけない。布団の中で何度も何度も身動ぎを繰り返す。もう二度と経験したくないです。

治療法は様々あるようでしたが、私は決定的な治療が望ましかったので、医者に睡眠導入剤を処方してもらいました。

少しオレンジかかったラムネのような錠剤で、マイスリーという名の薬剤でした。こんなお菓子みたいな錠剤が効くのかと不安にも思いましたが、他に頼るものもなく、水と一緒に飲み込み、祈るようにベットに潜り込みました。何度かの時計の秒針の音を聴いた後、私の意識は緩やかに落ちていきました。泥の中に沈み込んでいくと言いますか、そんな感じです。

夢を見ました。ええ。それは、夢だと認識できました。明晰夢と言うらしいですね。夢を夢と認識することを確かそう言うと。ですが、それも当然でした。その夢は、夢としか思えない程に不安定な世界だったのです。

そこは夜の砂漠でした。

起伏の激しい砂丘と乾燥した空気と、皮膚を撫でる寒さ。空には塗り潰したような暗闇が広がっていました。星々の光はどこにもありませんでした。ただ、大きな楕円の赤い月が5つ、等間隔に並んでいました。粒子の細かい柔らかい砂が、時折吹く風に舞っていました。月に照らされ、砂も赤く染まって見えました。

その砂漠の上で、私は駱駝に乗って異国風の衣服を身に纏っていました。服と言うよりは布に近い、エジプトやサウジアラビアなどで使われているあの服です。私は何をするでもなく、駱駝に指示を出して夜の砂漠を歩き続けました。

地平線の彼方まで、ただ赤い月のみを光源として駱駝は歩きました。乗り心地は悪くはなかったと思います。独特の浮遊感もコブの隙間に乗って軽減されていたと言うか、ええ、フタコブラクダでした。

どれくらい歩いたのでしょう。夢の中ですので、時間の流れは掴みきれませんでしたが、駱駝が疲れを見せ始めたので、其れなりには進んだのでしょう。

駱駝をその場に座らせて、私は砂を掌ですくい、風に舞わせてみました。砂が滑っていく感覚が皮膚に伝わって、心地よかったです。

座り込んだ駱駝はかえって巨大に思えました。座り込んでいるからこそ、その大きさが間近に感じられると言いますか。荒い息はバスの排気音のようでした。

何もない寂寥たる砂漠でしたが、退屈ではありませんでした。夢の中なので、いくらかの誤謬はあるでしょうが、行ったことのない場所というものは不思議と心躍るものですから。

私はなおも、砂をあげては舞わせてを繰り返していました。どれくらいそうしていたでしょう。誰かが私の前に立ちました。

「人だ」

その声は疲れ切っていましたが、同時に安堵が滲んでいました。私の前には少しダボついた学生服を着崩した少年が立っていました。少年は私に組みついてきました。彼の爪が肩に食い込み、痛みがありました。ええ、夢の中なのにです。

「ここから出してや、なあ。俺ずっとここおるねん。助けて、助けてや」

少年は私に向かって叫びました。私は何のことかわからず、ただ彼を見つめることしかできません。不思議なことに何があったのか尋ねようとしても、言葉が出てきません。喋ることができないのです。

「ここに人おるん初めてやねん。なあ、あんたなんか知ってるんやろ?助けて、出してよここから」

少年は半狂乱となっていました。ですが、私にはどうすることもできず、困った顔のまま彼を眺めることしかできませんでした。

そのように、彼の助けを聞き続けていると、いつの間にか慣れたベッドの上で目が覚めました。寝覚めの悪い夢だと思いましたが、慣れない睡眠薬のせいだろうと特段気にもとめず、その日を過ごしました。

でも、またその日の夜の夢にはその少年が出てきて、私に向けて助けを乞うのです。次の日も、その次の日も。

不気味に思いましたが、毎夜のことなので、いつの頃からか気にならなくなりました。毎夜、夢の中で同じ少年が出てくる。ただそれだけのことだと割り切ることにしました。

その頃から不眠は徐々に改善され、睡眠薬無しでも眠ることができるようになりましたが、依然として夢にはその少年が登場しました。

そんな事が続くある日、当時、交際していた男性と千葉のテーマパークに行きました。私の不眠が改善したお祝いとか言ってましたが、単純に彼が行きたかっただけでしょうね。そのデート自体は楽しく、久々に充実した休日を過ごしました。

彼がトイレに向かい、私一人となった時、修学旅行でしょうか。中学生くらいの集団の中に見知った顔がありました。ええ。夢の中の少年です。

私は驚いて彼の元に駆け寄りました。少年は突如現れた私に怪訝な表情を浮かべつつ、逃げるようにして走っていきました。私のことはわからないようでした。

「ちょっと待ってください。夢の中の少年は、その時の少年と本当に同じ人物だったのですか?」

女の話を遮り、思わずそう尋ねた。女は動揺する私をよそに微笑んでいた。

「ええ、あれは間違いなく同一人物でした」

女は既に冷めてしまった珈琲に口をつけた。

「でも、まだ子供だった。私が夢で出会ったあの少年は高校生くらいの年齢でした。テーマパークで出会ったあの子はせいぜい中学生くらいでしたから」

「それが2年前のことだと」

「ええ」

「だから、まもなくなんですよ」

女は匙で珈琲をかき混ぜた。

「まもなく?」

「あら?わかりませんか?」

どこか愉快そうに女は言った。

「まもなく、あの子を私の夢の中に閉じ込めてしまうということです」

女の独特な口紅が鮮明に浮いた。

「けれど」

━━━━仕方のないことですよね、夢の中のことなのですから。





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