第4話 喉仏
父のことがずっと嫌いだった。
実家は地元の小さな寺社で、父はその住職だった。田舎町なので、町の殆どが檀家だった。
私は寺社の仕事に興味は持てなかった。線香臭い袈裟を羽織り、訳知り顔で他人の家に上がり込み、念仏を唱える。死の臭いが常に付き纏うようで忌避していたのかもしれない。結局のところ、逃げるように都内の大学に進学し、そのまま就職を決めた私を見限ったようで、寺社は弟が継いだ。帰省のたびに嫌味を言われるのに辟易として、帰省の回数も年々減っていった。
父は坊主のくせに、腐ったような人間だった。
酒も博打も狂ったように興じて、挙句、暴力までも振る始末だった。耐えきれなくなった母は私がまだ幼い頃に逃げた。どうせなら一緒に連れて行って欲しかった。
そんな破戒僧のくせに、やたらと地元では評判が高かった。外面が良いと言えばいいのだろうか。それにしても、不気味なほどに敬われていた。地元の老人達は皆、父の事を聖人のように扱っていた。
久方ぶりの帰省に際して、酔った父に聞いたことがある。何故、地元の連中はここまで父を尊ぶのかと。父は赤ら顔を引き攣らせて笑った。
「俺の喉にな、仏さんが宿っているからだ」
冗談だと思ったが、どうやら本心らしい。
「俺の喉仏見てみろ。他人より幾分、大きいだろう?この辺のジジイどもはな、この大きな喉仏に仏さんが宿ってると思ってるんだよ。俺の親父もそうだった」
酩酊した父の話を要約すると、父の父、私にとっての祖父は生粋の善人だったそうだ。町の相談役も勤め上げ、住人全てから尊敬されるような出来た人間だったそうだ。その祖父の喉仏は他人よりも大きく、いつしかその喉に仏が宿ると噂されるようになったそうだ。祖父は父が幼い頃に病気で亡くなったが、成長した父の喉が祖父と同じように大きくなったのを見て、檀家達は聖人の再来だと、今度は父を敬い始めたそうだ。聞けば聞く程、馬鹿らしい話だと思った。
「この町の連中は皆、馬鹿なんだよ」
薄汚く笑う父を見て、私は目を逸らした。同感だと、強く頷いた。
それから数年して、呆気なく父は死んだ。癌だった。寺の仕事は完全に弟が引き継いでいた。
葬儀は恙なく進行した。火葬場には多くの人間が集まっていた。父の友人、信者達。よくもまあここまでの信頼を勝ち得たものだと気分が悪くなった。
葬儀屋が呼びに来て、父の火葬が終わったと聞いた。骨を集めるために部屋へと入った。父のことを嫌う私達より、町の連中に拾ってもらった方が父も喜ぶだろうと、連中も呼んだ。
父の骨は長年の不摂生で脆く、殆ど原型を保ってはいなかった。その崩れた灰の中でゴルフボールほどの鉄の塊が光った。父の喉のあたりだった。
「なんじゃ、やっぱり仏なんぞ宿っとらんかった」
葬式に来ていた爺が呆れたように声を上げた。
「見栄張ってわざわざ喉に鉄なんぞ埋め込んどったわ。この阿呆」
「騙しとったんか、こいつは」
「最期までろくでもない奴じゃのうほんまに」
父の友人達は見下した目で父の骨を見た。醜いものを見るように目を細める者、罵声を浴びせる者。様々だった。連中は骨には手をつけず、火葬場を去っていった。
残された私と弟は黙ったまま、父の骨を見た。鉄の塊を手に持つ。
「捨てといてくれよ、兄さん」
侮蔑を込めた声色で弟は言った。大声で笑いたくなった。
若い時分の父は、尊敬を集める祖父に憧れ、わざわざ自分の喉に鉄を埋め込んだのだ。町の連中から慕われるために、権威の象徴となっていた祖父の喉仏を真似て、喉を開いて鉄を埋め込んでいたのだ。
愚かだ。この町の誰よりも愚かだ。
愚かで哀れで情けない父の小物臭さを知って、私は大きく嘲笑った。
父の事が好きになれそうだった。
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