3-2
篠山の独白を読んで三日が経った。その間僕はいろんなことを考えた。自分が何者で、彼の望みは何で、僕はどこへ向かおうとしているのか。考えて、考えて、考えて、結局何も出なかった。僕は、何も分からなかった。ただ一日を生きることに、精一杯だった。僕は、今を踊り続けることに精一杯だった。誰の目にも触れないように踊ることだけで精一杯だった。
月曜日になった。僕は動き出さなきゃいけない。いつまでも、思索に耽るだけの生活はしていられない。ちょっとずつギアを戻し、いつもの生活を手に入れる。僕が何者かである前に、まずは今を生きるところから始める。そう思って、休んでいたアルバイトに復帰することにした。
アルバイト先に連絡を入れると、教室長から、「話があるから、いつもより早く来てほしい」と言われた。僕は、それに従って、教室に少しだけ早く向かった。
教室に着くや否や、教室長は僕を事務室に連れて行った。僕は促されるまま事務室に入り、休憩用の椅子に座る。教室長は神妙な顔をして僕の向かいに座った。教室長は、僕が見た時より少しだけ老けているように感じた。
「聞きたい事があって、早めに来てもらったんだ」
教室長はいつもより低い声で話を始めた。
「香山さんについてだ」
僕は、息が止まった。
「彼女が、どうしたんですか」
「君が休んだ日から塾に来ていなくてね。それだけならいいんだが、親御さんから連絡が来たんだ。君と香山さんが色恋沙汰になっていると」
僕は、なるべく教室長の目を見ようとした。でも、どうしても視点がぼやけた。僕はどこを向いているのだろうか。
「どうやら、香山さんが学校で、塾の先生に体の関係を迫られて怖くなって逃げた、と言うような旨の内容を言いふらしているんだそうだ。そして、その話を聞いた香山さんの友人の親御さんが香山さんの親御さんに連絡を入れて、私たちのところに連絡をしたんだ。本人に確認すると、君とやりとりをしているLINEが出てきてね。なんとか君を庇いたいとは思ったのだけれど、それを見せられときは、何も言えなかった」
そこまで話すと、教室長は僕の顔をじっと見て質問した。
「香山さんに肉体関係を迫ったのかい」
僕は、視点がぼやけていて今目の前に誰がいるのか分からなかった。誰が何を聞いているのか分からなかった。僕が、誰に何をしたって?
「僕が、香山さんに、肉体関係を迫った?」僕はオウムのように繰り返す。
「違うのかい」
教室長は僕に再度確認をとってくる。僕は何も言えなかった。あの日の夜、彼女は確かに僕の前で下着姿になった。だから、側から見れば僕が襲ったように見えるだろう。でも、それは真実ではない。彼女がいきなり脱いだ。でも、そんなことを話して誰が信じる?生徒と連絡し、遊園地に行ったと言う事実は変わらない。僕は違反をした。先生と生徒の関係をぶち壊しにした。その事実は変わらない。
「分からない、です」
僕は声を振り絞って答えた。
「分からない?どう言うことだい?」と教室長は眉を顰める。
「僕は、香山さんに肉体関係を迫っていない。それは確かです。でも、僕にはそれを証明する事はできない。世間的には僕が女子高生に手を出した卑劣な男にしか見えないです」
教室長は黙って聞いていた。僕は、いつの間にか泣いていた。大きな涙がボロボロと溢れていた。どうして泣いているのか分からないけれど、ずっと泣いていた。
「本当に肉体関係を迫っていないのであれば、香山さんを相手どって法的措置を取りたいとも思っている」
教室長は優しく話した。
「私も君がそんなことをするはずがない、と思っている。君が香山さんと連絡をとっていたのは事実だろう。確かにそれはいけないことではあった。私は正直このことを穏便に済ましたいとは思ったよ。だから、親御さんには君を解雇処分にすることでことを済まそうとは思った。でもね、それをしてはいけない、ってすごい剣幕で怒られたのさ。藤原先生にね。彼女はね、君を無条件に信用していた。君が香山さんと連絡をとったのは、他の先生への配慮であるし、君が香山さんと遊園地に行ったのは香山さんに脅されていたはずだと。そして君は決して肉体関係を迫るような人間ではないと。だから君に、賭けたいんだ。藤原先生が君を信じたように」
僕はその言葉を聞いてふと視線を上げた。教室長も辛そうな顔をしていた。
「香山さんとの履歴を見せてもらえるかな」
僕は、小さく返事をして、LINEの通知を見せた。教室長は、黙ってこれまでのやりとりを読んでいた。三分ほど経って、
「そうか」
とつぶやいた。
「このデータを私に送ってくれないか。親御さんとの話し合いに使いたいのだけれど」
僕は、頷いて、スクリーンショットをとって教室長に送った。
「ありがとう。君が悪くないことはこのデータで証明できるはずだ。でもね、生徒と連絡をとった事実は変わらない」
教室長はそこまで話すと、ため息をついた。
クビにされる。そう思った。僕はこのアルバイトが好きだったし、辞めたくはなかった。でも、自分がしたことは決して許されないこと。してはいけないことをしていた。だから、何を言われても仕方ない。そう思って歯を食いしばった。教室長は、判決を述べる裁判長のように、丁寧に話した。
「君には、一週間の謹慎をしてもらう」
「謹慎、ですか」
僕はその処分に呆気に取られた。
「そうだ。悪いことをしたのだから出勤停止は当たり前だろう?」教室長は少しだけ笑っていた。
「…はい」
「そう落ち込まないでくれ。これでも本部と掛け合ってごねたんだ。まぁ、このデータがなければ意味がないけれどね。私はね、藤原先生を信じたんだ。藤原先生が君を信じているなら、私も信じていいかなって。だからさ、良かったよ。香山さんについては私に任せてくれ。君はしっかり謹慎をしておくように。二度目はないからね」
教室長は、そう言って席を立った。その時に、
「ちゃんと藤原先生にお礼を言っておくように」
教室長はそこまで言うと、事務室を出て行った。
僕は、そのまま机に突っ伏した。何もかもが終わったかと思ったけれど、なんとか救われた。でも、どうして、藤原が。
「それはね、私があなたを信じていたからよ」
まるで僕の考えがわかっていたように話しかけてきた。
僕は、首を持ち上げる。目の前には藤原がいた。
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