3章

3-1

 あれから僕は何日かバイトを休んだ。香山さんに会いたく無いと言うのもそうだし、何より自分の中でどのように振る舞えばいいのか、まったくもって分からなくなっていた。自分は何をしていくべきなのか、どのような選択を取ればよかったのか。香山さんが僕に向けたものは好意以外何物でもなかった。それは純粋で僕には少し重すぎた。それで片付ける事ができればよかったのだけれども、ずっと僕の頭の中ではギャッツビーが叫んでいた。彼が開いたパーティーの中で彼は癇癪を起こしてあらゆるものを投げる。それはあの作品の登場人物であり、誰かである。そこには他者への怒りだけではない、自分自身への不甲斐なさが存分に含まれている。僕はそんなギャッツビーと同じように食べ物を、飲み物の入ったグラスを、椅子を、花瓶をいろんなところに投げつける。驚く客は逃げ惑う。その顔はニューヨークの富裕層ではなく、篠山になり、藤原になり、香山さんになり、そして“ギャッツビー”になった。僕はエキストラであるはずなのに、僕が主役となって癇癪を起こしている。そんなはずはない。視線の先には。遊園地のおじさんがいる。

「あなたはエキストラなのです。目立ってはいけない。失敗してはいけない。息を殺して、目立たないように踊り続けなければいけないのです」

 僕の頭の中でおじさんの声がリフレインする。そうだ、僕はエキストラでしかない。僕はギャッツビーなんかじゃない。僕は、僕は、屋敷に招かれた、一般人でなければいけない。無難に踊ってこのパーティーを乗り切らなきゃいけない。そう言い聞かせれば聞かせるほど、僕の癇癪は大きくなっていく。そして、投げるものがなくなって、腰に挿してあるレボルバーを引き抜く。僕にはデイジーはいない。そうだ、だから僕は、自分で、引き金を引かなきゃいけないんだ。そうして、僕はギャッツビーを演じ切る。そうして、僕はあいつと同じように、ギャッツビーの成り損ないとして。


 一通の通知が僕を目覚めさした。僕は、ベッドから起きる。ひどい夢を見ていた。僕は、ギャッツビーになって、そうして引き金を。夢の記憶を振り払うように、首を振り、通知の鳴った携帯を見る。そこには、篠山からのLINEが来ていた。


 お久しぶりです。あなたと話してからずっと宇野くんについて考えていました。やっぱり、私が彼を追い込んだのだろうと、私が彼を殺してしまったのだろうと言う思いは変わる事はありませんでした。そう言う意味であなたと話をしたことは間違っていた事だったと感じますし、今でもずっと生傷がえぐられるような気分です。だから、本当はあなたを恨みたいんだと思います。でも、どうしてだか恨みきれないんです。それはあなたが宇野くんの親友だから?あなたが何か特別な存在に見えたから?最初はわかりませんでした。でも、ふと思ったのです。あなたはギャッツビーじゃない。単なるエキストラなんです。あなたはギャッツビーの友人だったニックですらないんです。だからこそ、私はあなたを憎む事ができなのです。それだけあなたは矮小な存在だから。別にあなたを貶しているつもりなんかありません。私だってデイジーではないのだから。私たちそれぞれは主人公ではなく、誰かの人生のエキストラの集まりなのです。私たちの人生には主人公なぞ存在しないのです。それなのに、私たちは主人公でありたいと願う。だからこそもがくし、何か偶像に縋り付いてそれでありたいと祈る。そしてそうなれなかった時、私たちの中の物語は終結し、自らが名前を持たないエキストラだったことを自覚する。その時、人は二つに別れるんです。エキストラとして生きるのか、存在しない主人公を演じようと足掻くのか。彼−宇野くんは後者だった。でも、しんどかったのかもしれません。そして彼は主人公として−ジェイ・ギャッツビーとして無理やり終わらせようとしたのです。その引き金を引いたのは間違い無く私なのでしょう。そして、彼に『華麗なるギャッツビー』を演じさせたのはあなた自身なのです。だから、誰が悪いと言うのなら、私たちです。でも、それは彼が一番望まない結末でしょう。でも、私は、一生彼を忘れる事はできません。直接的では無くとも彼を殺したのは私だから。それは私が一生背負っていかなきゃいけないものなのです。私がデイジーではなく、灰の谷に住む名も無い住人であると気付いてしまったとしても。

 でも、私は今比較的落ち着いています。自分がエキストラであると気付いても。あなたは、どうですか?彼との約束を果たせそうですか?私にとってあなたはエキストラかもしれないけれど、あなたはまだ演じ続けているのかもしれない。でも、その結末はもうすぐ来るのではないかと思います。私はあなたがどのような結末を選ぶのかわかりません。でも、ギャッツビーのように悲しい結末ではないことを願っています。


 僕は、あの観覧車のおじさんを思い出した。

 −ギャッツビーは要らないんです。

 僕の頭の中でリフレインする。僕は今どこに向かおうとしているのだろうか。今一度自分の置かれている状況を考える。僕は今踊り続ける事ができているんだろうか。癇癪を起こしてあらゆるものを壊してはいないだろうか。僕は、歪なギャッツビーになりかけてはいないだろうか。僕は、僕のままなのか?僕は、何者だ?

 考えれば考えるほど分からなくなる。頭の中で鐘が鳴る。脳みそが思考をやめるよう催促してくる。

 −ちゃんと踊れているよ。自分を見失わないでくれ。Old sport.

 意識が遠のく瞬間そんな声が聞こえた。

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