2-4
僕と香山さんは無言で観覧車を降りた。係員はおじさんではなく別の若い男性になっていた。僕は詳しく聞きたかったけれど、そのおじさんはいなかった。
帰りの車の中でも香山さんは一度も話さなかった。無言でずっと携帯を見つめていた。でも、香山さんの目は確実に携帯を見ていなかった。虚空を見つめていた。僕は運転に集中できなかった。黙ってくれていた方が集中できると思ったけれど、その沈黙がずっと僕にのしかかっていて姿勢が悪くなっていくようだった。
駅に着いた。
「それじゃあ」と僕は香山さんに声をかける。
「降りたくない」と香山さんはいった。
「でも、帰らないと」
「嫌だ」
香山さんは駄々をごねた。
「でも」
というと香山さんはそっときていたブラウスの紐を手にかけた。
「先生は私を、『生徒』として見るのなら、私は先生が私を『女』として見るようにすればいいんでしょ」
「おい、何を」
香山さんは服を脱ぎ始めた。
「おい、何をして。車の中だよ!」
「別にいい」
「僕がよくない!」
僕が静止しても香山さんは服を脱ぐのをやめなかった。
「見てよ」
香山さんは小さな声で言う。
「無理だ」
「いいから見てよ!!」
今度は叫んだ。僕は仕方なく彼女の方を見る。
彼女がつけている下着は可愛らしいものだった。綺麗な刺繍が編み込まれてあるブラジャーはそれなりに発育した胸を支えている。
「これでも、だめ?」
彼女は僕に聞いてきた。
僕は黙ってしまう。否が応にも女性であることを意識しないわけにはいかなかった。
「やめてくれ」
僕は言った。
「どうして?ねぇ、どうして!?」
香山さんはヒステリックに声をあげる。
「…頼むから。服を、着てくれ」
「嫌だ!」
「嫌だじゃない!早く服を着て車から降りてくれ!」
「だめ!私はまだ、伝えてない!それを伝えて先生から答えをもらうまで降りない!」
僕と香山さんで言い合いが始まった。夜の駅、半裸の女性と男性が車の中で言い争っている。僕はなんとしてもその場から離れたかった。
僕はその場から離れるために車を走らせた。暗闇の中、制限速度を無視して突っ走った。誰もいないような場所に車を移動させなければ危ない。
「早く服を着てくれ。警察に見つかったらだめだ」
その言葉を聞いて、香山さんは我に帰ったのか胸を服で隠した。
僕は無言で車を走らせる。いくらか走った後、人気のいない公園の近くに車を止めた。
「一旦車から降りよう」
僕は車から降りた。頭の中は混乱していた。どうしたんだ?香山さんは何をしているんだ?香山さんが求めていることはわかるけれどもそれがどうして服を脱ぐことに?
「先生、早く。私を抱きしめて」
香山さんは僕の目の前に立っていた。弱まった電灯の下で立っている。相変わらず上半身は下着姿だった。
「早く服を!」
「服なんてどうでもいいの。早く、先生。恥ずかしいから早く抱きしめて、私を見えないようにして」
香山さんは僕を求めている。確実に。それは薄々分かっていたけど、こうやって突き出されると動揺してしまう。
「服を、服を」
僕はそれしか言えなくなっていた。
「早く!」
香山さんは怒気を込めて僕をせかす。
「無理だ!」
僕は反論した。
「どうして?どうして!!」
香山さんは狂ったように質問攻めにする。
「それじゃあ、どうして私に優しくするの?連絡先をくれたの?こうして遊んでくれたの?ねぇ、どうして!!」
僕は何も言えなくなる。香山さんのことを少しでも意識してしまったのは本当だ。それが歪なものであれ、意識してしまった。だから僕はこの子との連絡を断とうとした。それなのにどうして、こうなった。
「踊り続けるんですよ。エキストラとして」
おじさんの声が頭に響く。僕はエキストラだ。ジェイ・ギャッツビーではない。そんな激情的な恋愛は不必要なんだ。
「僕は、君を女性として見ることはできない。だからごめん」
僕はなるべく落ち着いた声で言った。
香山さんから返事はなかった。街灯の光が彼女の肌を弱々しく照らす。あれ、香山さんの肌ってこんなに白かったっけ?僕はそんなことを考える。
「そう、ですか」
香山さんはそう呟いて、僕の前から去っていった。
「どこに…!」
と僕は香山さんを呼び止める。
「あぁ、ここはよくわかるので、歩いて、帰り、ます」
香山さんはボソボソと呟いた。香山さんのそんな姿を見たのは初めてだった。
「…ごめん」
と僕は謝る。
「どうして、謝るんです?そんなの卑怯じゃないですか?」
香山さんは弱々しく返した。
「ごめん」
香山さんは今度は何も言わず暗闇の中に消えていった。僕はその後ろ姿を呆然と見ることしかできなかった。
何分か経って僕は車に戻り、タバコに火をつけた。今日だけで五本目だった。いつも吸わない僕からすればあまりにも多いニコチン摂取だった。タバコに火をつけて一息で吸う。煙に慣れなくて咳き込む。胸が痛くなった。それは香山さんのせいだろうか、タバコのせいだろうか。僕の左胸はずっとギシギシと痛んでいた。僕は無性に誰かに撃たれたくなった。
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