2-3
「一日だけ一緒に遊んでください」
香山さんからの返信はそれだけだった。何時間待ってもそれより増えることはなかった。僕は何を言われるのかというのを警戒していたから、一瞬気が緩んだ。それでも、香山さんがお願いしてきたことは僕にとって非常にまずい代物だった。こうやって生徒とLINEをしているだけでもまずいのに、遊びに行くなんて。誰かに見られてもすりゃ、ましてや、保護者経由で今日室長の耳にでも入れば僕の立場は終わりを迎えるし、贖罪なんて言葉でできる代物ではない。
「それは難しいかな」
僕は断りの連絡を入れた。香山さんの連絡は早かった。
「でも、私と連絡したくないって断ったのは先生。このこと教室長にいってもいいんですよ?そうなったら先生、あの塾で働けなくなりますよね?」
僕は続け様に返信する。
「そうやって僕の脅すの?どうして?」
「だってそうでもしないと先生は私の一緒にいてくれないから」
「どうして僕なんだ?」
「それ、今話さなきゃだめですか?」
少し印象が変わった。
「ごめん」
「とりあえず、私と一緒に遊んでください。一日だけでいいんです。お願い!」
香山さんは必死のようだった。僕はそんな香山さんの押しに負けてしまった。
「わかったよ。でも、約束がある」
「はい。なんですか?」
「誰にも言わないこと、誰とも出会わないようなところに行くこと、おうちの人には先生と遊びに行くなんて言わないこと」
「それは大丈夫です」
香山さんはその後、LINEでどこに行くかという相談を始めた僕は適当に返事をしながら、このお願いを呑んでよかったのかと分からなくなっていった。
約束の土曜日。僕は香山さんを車に乗せて隣の県の遊園地に連れていった。その道中、香山さんは僕にひたすら話しかけてきた。
「先生と遊園地ってすごいワクワクします」
と香山さんは嬉しそうに話していた。
「それなら、よかったよ」と僕は感情を殺したような声で話す。
「先生は、楽しくないですか?」
「正直、緊張しちゃうね。誰か知っている人に合わないかって」
「そうならないように違う県にしたんですから。忘れて楽しみましょうよ!」
いつもの違う服装。待ち合わせ場所に向かった時、少し露出の多い服装で僕は目のやり場に困った。高校生はまだまだ子供だと思っていたけれど、そんなことはなかった。体はしっかりと大人びていた。そういう服装をしていたから余計にそう思えたのかもしれないが。というか、そう思いたい。
車の中で、香山さんはいつものLINEと同じように話し続けた。僕は話半分に運転に集中していた。運転している間は、何も考えなくて済んだ。とても心地よかった。
遊園地に着いた僕たちは入場券を買った。カップル割というのがあって、香山さんは仕切りにそれを買おうをしていたが、僕が二人分を買うということで許してもらった。香山さんは少し膨れっ面になった。
「どうして安い方買わないんですか?」
「僕たちはカップルじゃないからね。嘘はよくない」
「そんなの分からないですし、こうやれば」
そう言って僕の手を繋いだ。指と指を絡める恋人繋ぎだった。
「カップルに見える」
僕は手を振り離そうとしたが、香山さんの力が強く諦めた。
「だめですからね。今日だけは」
香山さんはそう言ってより一層強く僕の手を握った。
「ちょっと痛いって」
「だめです」
香山さんは最後まで手を離さなかった。
遊園地では香山さんはとてもはしゃいでいた。やっぱり子供なんだなって思って見ていた。自分はこんな遊園地を素直に楽しめなくなるような人間になっていた。なんだか全てが子供騙しで遊園地のゲートを出てしまったらそこは現実。結局のところこの遊園地っていうものは避難場所というのでしかなくて本当に変わって欲しいものは何も変わらない。そう思えば思うほど自分がここにいるのが相応しくないように感じて、香山さんが楽しんでアトラクションに乗っている間、この前買ったタバコを丁寧に吸っていた。でもタバコすら上手に吸えなくて少し吸っては咳き込んで、を繰り返していた。
「先生ってタバコ吸うんですね」と香山さんに話しかけられた時はびっくりした。
「え、ああ。ごめんね」
「いや、別に先生の趣味なんで別に止めはしないですけど、よく吸われるんですか?」
「そんな毎日じゃないよ。たまに吸いたくなったら」
僕はなるべく真意がバレないように話をする。
「いい時間になりましたね」と香山さんは言った。今日のうちに香山さんを近くの駅に送り届けないといけないと考えるとそろそろここを出なくちゃいけない。
「そうだね」
「その前に」香山さんは再度僕の手のぎゅっと握った。
「あれ、一緒に乗りましょ?」
そうして指を差したのは観覧車だった。
「いや、そういうの興味ないからさ」
「そうやっていろんなアトラクション一緒に乗ってくれなかったんだから、これくらいは乗ってくだいよ。そんなに怖くないですよ?」
そう言って僕は香山さんに連れられるようにして観覧車乗り場に向かった。
観覧車乗り場に着くと。
「お兄さん、いい彼女さん連れてますね」
と係員のおじさんに言われた。
「いや、そういうわけじゃ」
「なんだい、今から観覧車の中で告白ですかい?そういうカップルを多くを見てきたからわかるんですよ」
係員のおじさんは僕の話を聞こうとしない。
「そういうのじゃなくて」
僕は否定するけど、おじさんは話を進める。
「それでも、気をつけなさってください。人は時として誤った選択をする。自分が今どこにいてどうやって自分の位置を探っているのか知っていますか?我々は必死になって踊っているんですよ。ステップを間違えないように丁寧に、かつ音楽に乗り遅れないように素早くね。それはね、自分一人が覆っているからではないんです。ダンスパーティーなんです。多くの人があなたの踊りを見ている。あなたが躓く姿を今か今かと見ている。ウエストエッグで開かれるパーティでは金持ち達が誰かの失敗を待っている。あなたは踊り続けなくてはいけない。かのギャッツビーのように暴れてはいけない。自分の癇癪で暴れては、いけない。あなたは踊り続ける。誰の目にも触れないように。わかりましたか?ギャッツビーにはなってはいけない。あなたはエキストラとして踊り続けるんです」
「ギャッツビー?」僕は質問をする。
「あぁ、次の観覧車がやってきます。次はあなたと彼女さんのです。これ以上は話せない。ギャッツビーはいらないんです。それだけどうかお見知り置きを」
係員のおじさんは僕と香山さんを無理矢理押し込めるようにして観覧車にのせた。
「先生、あの人となんの話をしていたの?」
「いや、別に。ただの世間話だよ」
そう返すものの僕はあの人の台詞が胸の奥に引っかかっていた。
―どうしてこんなところでギャッツビーの名前が?
僕は頭が混乱していた。香山さんが目の前にいるのに叫びたい気分になった。
「先生、顔色悪いよ?大丈夫?もしかして無理させちゃった?」
香山さんはとても心配そうな目で僕を見る。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと考え事をね」
香山さんは心配そうに眉を動かしているがそれ以上は追及して来なかった。
「先生、こうやって先生とちゃんと話をするのって意外と初めてじゃないですか?」
香山さんは唐突に話を始めた。
「どうした?」
「いや、なんだかこうやって話をするのって無かったなぁって。最初先生に授業を見てもらった時、こんなふうになれるとは思っていなかったんですよね。こう、ちょっとした憧れ程度っていうか。でも、実際は、結構身近な存在でちゃんと存在している」
「どういうこと?」
僕は香山さんに質問をするが、答えてくれない。
「先生って、何か大事なものを抱えていそうだなってずっと思っていたんです。でも、この四月ぐらいですかね?なんだかその大事なものを失ってしまったように感じたんです。先生としてはなるべく隠していたんでしょうけど、目の動きや声色なんかで先生に何かがあったことはわかりました。それからです。なるべく先生の支えになれるようなことをしようと思っていました。そしてそれが今度は自分の支えになってきて」
「もうやめよう」
僕は香山さんの言葉を遮った。
「え?」
「それ以上、話すのはやめよう。ここから先はだめだ。それ以上先に進んだらいけない」
「どういうことです?」香山さんは不思議そうに聞いてくる。
「僕と君は先生と生徒だ。それ以上でもそれ以下でもない。それ以上を求めてしまったら、全てが終わる」
「でも、それでもいいんです」
と香山さんは続けた。
「君はいいかもしれない。でも、僕がだめなんだ」
「それは、先生を続けることができなくなるから?」
「それだけじゃない」
僕は香山さんの話を続ける。
「僕は君のことのほんの一部も知らない。生徒としての君をよく見ているけど、一人の人間として、香山玲奈を見たことがない」
「でも、それは、今日」
「でも、君は僕のことを『先生』と呼んだ」
「じゃあ、名前で呼べばいいってことですか?」
「それも違う」
「それじゃあ!」
香山さんは首をふりながら僕に詰めてくる。
「それ以上は、僕に言わせないでくれ」
二人の間に沈黙が続いた。僕は無性にあのおじさんと話がしたかった。沈黙は観覧車が一周するまで続いた。
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