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「彼―宇野くんと出会ったのは、半年ほど前の授業だったわ。その時の授業でペアを組まされたの。私は一人で過ごすのが多い人間だから、こういうペアを作る、っていうような授業が苦手なのよね。その時声をかけてきたのが、宇野くんなの。『一緒にしませんか』って。なんで私?って思ったのだけど、彼曰く、『一目惚れだった』らしいわ。
最初は、その一回だけだと思っていたの。でも、次の週の授業でもペアを組まされて、最終的には期末課題までペアですることになったの。それで、自然に宇野くんと過ごす時間が多くなった。それが最初よ。大学生が恋に落ちる流れとそこまで変わらない」
篠山はそこまで話すと、カフェラテを一口飲んだ。
「甘い」そう呟く。
僕は、何も言わなかった。
篠山は話を続けた。
「それで、彼から食事の誘いがあったの。ちょうど期末課題を提出した日だわ。私は最初断ろうと思っていたのだけど、課題の中で助けられることも結構多かったからそのお礼も兼ねて一緒にご飯に行くことにした。その時に行ったのは大学近くのイタリアンのお店。私はボロネーゼを、彼はボンゴレビアンゴを食べていたわ。その時どんな話をしていたかは正直思い出せないのだけれど、彼が『完璧な人間だ』と思わせられたわね。その時、彼があの噂の学生だって知ったの。話し方に嫌味はない。でも博識で話をしていても全く飽きない。その時、お酒を飲むつもりはなかったのだけれど赤ワインをグラスで一杯だけ飲んだのは覚えているわ。彼には『ずっと一緒にいたい』と思わせる何かがあるのよ。でも、その日は何もなかった。ご飯を食べて軽くお酒を飲んだだけ。その先、っていうのはなかった。
その日から、定期的に一緒にご飯を行く機会というのがあったの。そうね、二週間に一度ぐらいのペースかしら。毎回彼からだった。おしゃれなお店の時もあったし、居酒屋みたいな時もあった。私も自然とその二週間に一回の食事会を楽しみにしているところはあったの。そして、五回目の食事会の時、言われたの。付き合って欲しいって」
篠山は、そこまで話すの一息ついて携帯を見た。
「その時のことを携帯にメモしたわ。私、何か大きなことがあるとすぐに見直せるようにメモするの。良かったことも悪かった事も」
「そのメモにはなんて書いてあるんですか」
篠山は頭を横に振った。
「その日だけは消している」
「消している」
「少なくとも私にとっては『イレギュラーなことをしてでも記憶から消し去りたい日』になってしまったから」
篠山は今度は店の外を見た。少し暗くなっていて、街灯の光が入り込んでいた。
「その後、どうなったんです」僕は続きを聞いた。
「そうね。私は、宇野くんと付き合うことにした。だってあの完璧な人間よ。ましては向こうから付き合って欲しいって言ってきた。普通の女子なら喜ぶようなこと。私もそれがわかっていたし、何より嬉しかったのもある。だから、私は付き合ったの。最初は上手く言っていたとは思う。ぎこちなかったし、彼も緊張していたから。でも、彼はやっぱり優しいし博識だし、イケメンだし。自然と一緒にいる時間が長くなったし、私は、彼に身も心も委ねてしまってもいいって感じていたの。
そして、その日はやってきたの。彼のアパートで一緒にお酒を飲んでいた。付き合いだして三ヶ月記念日だった。ちょっといい日にしたいね、って言って彼が家でフルコースを作ってくれた。決して広くない部屋だったけど、料理は美味しかったし、彼も私も楽しんでいた。そして、二人とも望んでいたの。今日はさらにもう一ステップ進む日だって。だからその日、私は勝負下着っていうの?を準備していたし、彼もそれは意識していた。だから、食後、そういう雰囲気になるのは早かったの。自然と体が近づいて、キスをして、彼の寝ているベッドに横たわったの。彼の匂いがしたわ。恥ずかしい話だけど、私はそういう気分になっていた。彼もそうだったと思う。いつもの彼より「がっついて」いた。でもね、彼とは結局しなかったの」
篠山はここまで話すと恥ずかしそうに言った。
「もうこの話やめてもいい?恥ずかしいわ」
「僕はあなたに、話を強制させる権利はないですからね。あなたがやめたいというのであれば僕はそれに従うまでです。でも、僕はその話を知りたい。他人の色恋沙汰だからとかそういうのは関係なしに、知りたい。その先に彼の言っていることが分かりそうだから」
篠山は、いかんせん真剣な僕の顔を見て、ため息をついた。
「わかった」
篠山は、カフェラテを口に含み丁寧に飲み込んだ後、話を続けた。
「勃たなかったのよ。彼。彼、私の裸を見て、勃たなかったの。何をやっても。手でも口でも。何しても。彼は謝り続けたわ。ごめん、ごめんって。その日は、疲れていたのかもしれない。私はそう思った。そういう時ってあるものだって聞いてたいから。だからその日はそのまま流したの。でもね、彼は最後まで勃たなかった。最初は威勢がいいのに、肝心なところで、ね。それで彼はどんどんおかしくなったの。それでもね、私を責めなかった。自分が悪い、自分が悪いって。でもね、女としてね、そういう風になっちゃったら、いくら彼氏が『自分のせいだ』と言っても、無理なのよ。プラトニックな愛とか精神的な愛とかそんな綺麗な言葉を並べる人っていっぱいいるけど、やっぱり人間だって動物なの。その部分で魅力がないんだって突きつけられちゃうの。だから私は最後に別れを申し出たの。ここだけで誤解されたくないのだけど、何もセックスができなかったから別れたんじゃないのよ。でも、それがきっかけではあった。あれだけ聞いていて心地かった彼の話はどんどんノイズ混じりになって壊れたラジオみたいになっていったの。焦りが見えて、ギィギィ聞こえるの。初心者のヴァイオリンみたいに。そうなったらおしまいよ。完璧っていうのは何か一つでも欠けたらそこから崩壊していくの。そうして私は彼への愛を、興味を、思いを失っていった。そして、別れを告げたの。あなたには悪いけれど、私はあなたを愛することはできないって」
そこまで話すと残りのカフェラテを一気に流し込んだ。
「これがことの顛末。ずいぶん端折ったところはあるけれど、あったことは大まかに話をしたわ」
僕はそっと視線を下ろした。木目調の机の模様を目で追っていく。
「だから、私は『デイジー』じゃないの。私は宇野くんと向き合っている。私は彼女ほど適当に付き合ってないわ」
「それは、そうだ」僕はそっと返した。
「でも、だからこそ、自分で引き金を引く必要があった」
「まさか、私が彼を殺したなんて言わないわよね」
「そんなことは。でも、事実として、あなたと別れ、彼は絶望し、自ら引き金を引いた」
「だから話したくなかったのよ」
篠山はヒステリックな声で言った。
「私だってわかっていたの。彼が死んだ理由に絶対わたしが絡んでいるって。だって、私と別れた一ヶ月後に死んだよの!?」
「待ってください。僕はあなたが殺したなんて思っていません」
「じゃあ、どうしてそんなこというの?」
「だって、彼はギャッツビーだったから」
「どういうこと?」
「ギャッツビーは愛する女を思って殺されなきゃいけない。この殺さ『れる』ってことが大事なんです。そこには必ず愛する人がいないといけない」
「どういうこと?」
「彼は最後まであなたへの愛に悩んでいた。それが本物なのかどうなのか」
「本物の愛って、大学生が」
「でも、彼はジェイ・ギャッツビーだ」
「演じていたの?ギャッツビーを?」
「演じていた、というのは少しズレると思うけど、でも彼は自分がギャッツビーだと信じていた」
「だから、誰かを愛さなきゃいけなかった」
「そう、そして、自分は愛する人を守りながら殺されなきゃいけなかった。でも、愛する人が不確定で、誰も自分に引き金を引いてくれない」
「だから」
篠山は目を逸らした。僕は臆せずに言った。
「彼は、自分で引き金を引いた」
僕は篠山に感謝を告げて店を出た。今回のお代は僕がだした。篠山は「ありがとう、ございます」とだけ言った。僕は篠山に自分の連絡先を教えた。また彼について何かあったら、分かったら連絡して欲しいと伝えた。彼女は嫌がるかと思ったけれど、何も言わずに受け取ってくれた。
彼女にとって、この話は少しきついものがあったのかもしれない。彼の想いに勝手に巻き込まれて、自分が彼を殺してしまっていたのではないかと苛まれている。彼女も辛いんだ。
話を聞いて僕は感じた。彼は、袋小路に追い込まれていた。『ギャッツビー』が自分を突き動かすが、上手くそれを演じることができない。ダンスのステップがどんどんずれていく。ジェイなら踊れる、もっと華麗に踊るはずだ、そう思いながら見様見真似で踊るけれど足がもつれる。そうしてどんどん焦っていって、ボロが出始める。自分の不完全性が溢れていく。自分がどんどん、嫌になる。
僕は帰りの道を歩いた。なんだかタバコを吸いたくなってコンビニでライターと一緒に買った。歩きながら、タバコに火をつけたところで、そんなもの吸いたくないんだって気づいた。
―何をしているんだか。
僕は一口だけ吸ったタバコを足元に落として踏みつけた。そしてそんな自分が嫌になって異様に長い吸殻を持って帰った。
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