1-3

僕は学部の友人から、篠山が取っているという授業を聞きつけ、その授業終わりに教室に向かった。その授業は中世英語文法の授業らしく、ほとんど生徒がいない中、か細い声の先生が授業をしているといういわゆる「ハズレ」授業らしかった。僕とは全く縁のない授業だから黒板に書かれたアルファベットが自分の知っているアルファベットなのかわからないでいた。

僕は、一番窓側に座っている篠山に話しかけた。

「あの、あなたは、篠山さん、ですか?」

「はい?」

篠山は顔を訝しめた。

「僕はこういうものです」そう言って、篠山に学生証を見せた。

「その、あなたが、私にどのような用事が?」

僕は、スマホに入っている彼の写真を見せた。

「あの、彼を知っていますか?」

「あぁ」

と篠山は気だるそうに返事をした。

「何も話すことはありませんよ。彼が死んだことと私は関係ないのですから」

篠山は席を外そうとした。僕は、それを止めて、話を続けた。

「別にあなたを責めようとしているわけではないんですよ。ただ彼とあなたの間に何があったのか、それを知りたいだけなんです」

篠山は怒気を込めて返した。

「そんなことどうしてあなたに知られなきゃいけないんですか?見ず知らずのあなたにどうして宇野くん(「彼」のことだ)について話さなきゃいけんですか!」

僕は、萎縮してしまった。篠山の言う通りである。僕はいきなり彼女を訪ねて、死んだ人間のことを根掘り葉掘り聞いている変人だ。あの日記を見ると、単なる「友人」で止まる関係ではないことはあきらかだ。余計に嫌な記憶だろうし、彼が死んだことにより、よりトラウマになっている可能性もあるかもしれない。

「すみません、軽率でした」と僕は謝った。

「それで、帰っていいですか?」と篠山。

「いや、だめです」

「どうしてですか?」篠山は顔を顰めた。

「叫びますよ?痴漢って」

僕は、篠山の脅しに屈せず、再度お願いした。

「彼と、宇野くんとの間に何があったのか教えて欲しいんです。彼は、僕の友人だから。幼馴染だから、そして、彼の願いを叶えたいから」

「はぁ」

篠山はとうとう諦めたようだった。

「わかりました。あなたが宇野くんとどのような関係だったのかは知らないですけど、いいでしょう。近くのカフェでいいですか?」

篠山と話をつけることができた。


大学の近くのカフェ『Scott』は授業終わりの生徒や、勉強をしている生徒でごった返していた。狭い店内には甲高い笑い声が響いていた。

「私、ああいう感じ、嫌いなんですよね」と篠山はボソッと言った。

「わかります」

「本当に?あの、宇野くんの幼馴染なんでしょ?ああいう『黄色い声』っていうの?そういうのたくさん聞いてきたんじゃないですか?」

「その声は僕に向けられたものじゃないんですよ。全部彼に向けられているものです。その声を好きになれますかね」

「へぇ」篠山は興味がなさそうに返事をした。

席に座ると、篠山はカフェラテを注文した。僕は慌てて、ミルクティーを頼んだ。

「それで、あなたは私に何を聞きたいんですか?」と篠山はいきなり本題を持ちかけた。

「彼―宇野くんと何があったのか聞きたいんです」

「でも、それってプライベートなことですよね。そんな話をどうしてあなたにしなきゃいけないんですか?」

「でも、話をしてくれるから、こうやって・・・」

「興味を持っただけです。『彼の願い』っていうのに」

篠山は言葉を続けた。

「その『彼の願い』を教えてくれたら、私も彼との話をします」

僕は黙った。彼との約束、彼の願いを彼女に話していいものか、そして何より、どのように話せばいいのだろうか。いろんな疑問が頭の中を渦巻いて、何と返せばいいのかわからなかった。

「話して、くれないのですか?」篠山は背もたれに手をかけようとする。

その時、注文していた飲み物が届いた。篠山は再度席に座った。

「そうですね。本当に話していいものなのか、ということがあります。『死者はもう話さない』けれど、その死者との約束を気軽にバラしてしまっていいものなのか、と」

僕は、今思っていることを丁寧に話した。

篠山は黙って聞いていた。目を瞑って。その姿は、人を魅了するような姿だった。飛び抜けて綺麗なわけではない。でも、その姿は様になっていた。名も知らない画家が描きそうな画角だった。

「わかりました。その『願い』っていうのは聞かないでおきます。その代わりに、あなたと宇野くんの関係を教えてください。あなたが宇野くんとどれだけ近しい存在なのか、私と彼の関係を話してもいいものなのか、それだけ判断させてください」

篠山の譲歩に僕は乗った。僕は、彼との思い出を交えながら、あの写真のもう少し前、四歳の頃から話し始めた。僕の話は一時間近くにも及んだ。篠山は、その話を辛抱強く聞き続けた。注文していたカフェオレもミルクティーも温くなっていた。

「―以上が、僕と彼の経緯です」

「あなたは、宇野くんを『ギャッツビー』と呼んでいた」

篠山は確認するように丁寧に『ギャッツビー』を発音した。

「ええ。完璧な男でしょう?」

篠山は、少し笑った。その笑顔は決して好意的な感情のものではなかった。

「彼が、宇野くんが完璧な人間であるというのは確かに認めるわ。でも、彼は『ギャッツビー』じゃない」

「そう、『ギャッツビー』じゃない」

僕は、温くなったミルクティーを一口飲んだ。甘ったるくて、舌が少し痺れた。

「なぜなら、私は『デイジー』ではないからよ」

そう言って、篠山は、彼との関係を話し始めた。

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