第7話 不憫

 「死ぬかと思った」


「あぁ、本当に生きているのが奇跡だな」


良太の呟きに相槌を打つ、慎也。


車内にいた時は、とにかくパニックになっていたが、


不思議と外に解放されると、頭の中がスッキリして、


良太は先ほどまでの緊張感が、いっきに消えていた。




 幸か不幸か降り注ぐ小雨は、事故で血流の上がった、


良太の熱を奪い、冷静に判断にさせてくれた。


遠くでは担任の渡邊先生が何やら、鬼頭先生ともみ合っている。


周りを見渡すと、笹川の無事も確認できた。


視線に気づいたのか、笹川がこちらに向かってくる。


自分のおかれた状況を理解できていない表情で、


友人の死を悲しんだのだろう。


目が真っ赤に充血して、今にも泣き崩れそうなほど弱々しい足取りだった。


「す、杉山君……良かった、本当に生きてて良かった」


「俺は大丈夫だよ、笹川こそ怪我してないか?」


「で、でも頭から血が出てるよ」


「平気だよ、少し、切っただけみたいだから」


「本当……ちょっと、まってね」


そういうと、笹川は制服から、花柄模様の白いハンカチを取り出し、


良太の額の血を拭い始めた。


「いてっ!!」


「ご、ごめん」


良太の言葉に反応して、さっ、と手を引っ込める笹川だった


「だ、大丈夫だよ!!」


「それより、笹川、俺のせいでハンカチ汚れちゃったよ」


「い、いいの、気にしないで」


そう言うと、また、良太の額の血を優しい手つきで拭い始める。




 甘い、二人だけの時間だったら、どれほど良かったのだろう。


関が亡くなってから、あいさつだけで距離がおかれていた半年間。


お互いに何を話せばいいのか、わからなくなっていた時間を


埋めるかのように献身に良太の傷を癒やそうとする笹川。


良太は、おとなしく笹川の行為を受け入れていた。


ほんの数分の出来事だったが、


良太にとっては今の悲惨な状況より、


笹川が傍にいてくれることの方が、嬉しかった。


そんな甘い時間も、空から聞こえてきた轟音で


現実に突き返された。


音の方に目を向けると、崩れ落ちてきた土砂がバスを押し出そうとしている。


けたたましい音に混じって、悲鳴が響き渡る。


何事かと振り返ろうとしている笹川を


咄嗟に胸に抱え込み、耳を塞ぐと。


「えっ、ちょっと杉山君」


一瞬、何が起きたのかわからなかった笹川は


良太の行為を拒絶しようと抵抗を試みたが、


ガッシリと抱え込まれたはずの腕は、


ブルブルと震えていた事で、今、振り返ってはいけない事を笹川に悟らせた。




 良太自身も驚いたが、何よりこれ以上好きな人に悲惨な現状を見せたくなかった。


自分でも何をしているかわからないけど、本能的な行動だったのだろう。


今、目の前で悲鳴をあげながら、バスが山の傾斜を転げ落ちて行く姿は、


大自然の前で自分は、どれだけ無力なのかを叩きこむには十分な映像と音だった。


無意識に体の震えが起きていた。


笹川が背中をたたいたことで、われに返り、全身の力は脱力していった。


「杉山君……」


「ご、ごめん、とっさに手が出て……」


「その、見せたくなかった」


笹川が後ろを振り向くと、そこには泣き崩れて絶叫している


渡邊先生と疲れ切って肩で息をしている、鬼頭先生が立っていた。


先ほどまで前に見えていた、隣のクラスのバスがあった所には、


大量の土砂が積み重なり、バスの姿は無くなっていた。


不意に涙が込み上げてきて、何に悲しんでいいのか、わからない笹川。


良太は笹川の後姿を見て、何も声を掛けれなかった。


「心ちゃん大丈夫?」


鈴木が近寄ってきて、心配そうに笹川に話しかける。


鈴木は、鼻を鳴らしながら、ただ頷く事しかできない笹川を一生懸命励ます。


「大丈夫だよ、私は幸運がついてるから、心ちゃんもきっと助かるよ」


励ましている鈴木であったが、さっきまで泣いていたのだろう、


彼女もまた、目を充血させて必死に涙を堪えて友達を激励していた。




 「おぃ、良太」


慎也が藤宮とクラス委員長を連れて戻ってきた。


「他の奴らは?」


「皆、自分の事で精一杯の様子だったぞ」


「そうか……」


「これから、どうなるんだろうな?」


慎也はいつもより深刻な顔で良太に問う。


「わからない、とりあえずここも土砂が降ってこないか、心配だけどな」


そう言うと、泣き崩れて何もできない担任の方に視線を流していった。


鬼頭先生がこちらに向かってきて、日下先生と何やら話している。




 「皆さん、落ち着いて、ここは今とても危険な状態なので」


「最初はここで救助を待つべきだと考えましたが……」


「来た道を戻ります」


「少しでも早く、救助隊に合流できるように道を戻った方が安全と判断しました」


そう言い終わると、鬼頭先生は残っている生徒に指をさして指示し始めた。


「俺たちも行こうか?」


慎也が良太に問いかける。


「皆の準備が終わってからにしよう」


そう答えて、全員が揃って歩き始めた直後、


今日、三度目となる轟音が山に鳴り響き、


先頭を歩いていた生徒たち落石が直撃した。


トマトを地面に叩きつけたような映像は、


本当はベッドで、いつも通り悪夢にうなされているのではないか、とさえ思えた。


茫然(ぼうぜん)と立ち尽くしていたが、クラスメイトの絶叫に


鬼頭先生が怒号を飛ばしたことで、置かれている状況を実感した。


今、生き残っている生徒をとにかく安全な場所に避難させたいのだろう。


落石に押しつぶされた生徒たちを確認することもなく、


鬼頭先生は斜面を下りる事を決断した。




 「皆、落ち着いて進もうぜ」


「今更、騒いだところで状況は変わらないだろうしな」


斜面の木々に手をかけ、笹川や鈴木の手を取り、慎重に下りていく。


皆、極度の緊張感が必死に隠しているが、手を取り合うと


恐怖で震えている手が心情を物語っていた。


斜面を降り切ると、岸辺が続いていた。


少しホッとして、来た道を振り返ると、三階立ての校舎と同じくらいの


高さに道路は見えていた。


「どこまで行くんだろうな?」


「少なくとも、上は危険で道は塞がれたからな……」


「どっかで、上に戻る道を探すだろう」


良太の左には増水した川が広がり、雨と川の水で靴はビショビショに濡れていた。


「道が広くなってきたな」


前方の岸辺が広がっていくのが良太たちの目に入ってきた。


見上げると元来た道路には戻れそうにない。


「これじゃぁ、駄目だな」


「あぁ……」


二人には上を見上げると、土砂が零れ落ちている道路が目に入っていた。




 誰かが橋と上まで登る階段を見つけた。


増水した川の傍にいつまでも居たくはないだろう。


皆は歓喜して階段を上り始める、ただ、足場は非常に悪く。


濡れた石は時たま良太たちの足を滑らせていた。


靴が滑るたびにヒヤっとして、胸を撫で下ろした。


手すりがないこの階段で落ちたら、きっと死ぬだろうなと思いながら、


下を見下ろす。ゴツゴツした岩と勢いよく流れる水に生唾を飲み込む良太。


後方から来る笹川を気にかけながら、足場の悪いところでは、手を差し伸べ、


笹川の安全を保っていた。


ようやく、上まで登りつくとそこには、すでに腐っているのではないかと


疑うほどの古びた木でできた吊り橋が、キィキィと音を立てながら揺れている。


さすがに生徒たちを先に行かせるわけには行かないのだろう。


日下先生が吊り橋を一歩、一歩、ゆっくりと渡り始めた。


踏み出す度にミシミシ、ギシギシと音を立てていたが、


向こうの斜面に辿り着くと、皆はホッとした表情に変わっていた。


十名ほどが向こうに辿り着いたころ、良太たちの番になった。


慎也が先頭を進み、笹川、良太、鈴木と後をついて渡った。


「音だけで、結構、大丈夫そうだな」


「今のところはな……」


そうだな!!と肯定できない、自分が少し嫌になったが、


あまり、この状況を楽観視していたくはなかった。


「私、怖いよ」


笹川の足取りは重く、足の動きには恐怖を押し殺して、


進む姿が見るに耐えられなかった。


「笹川、下を見ないで、進みな」


良太が少しでも、恐怖を和らげようと助言すると


「う、うん」


下に流れる川の濁音に消されそうなほど、か細い返事が返ってきた。


橋の中央まで来た時だった。


雨で濡れた木に足を滑らせた笹川が転ばない様に足を力をいれて


踏み込んだ足場は脆くも、音を立てて踏み抜けて行った。


笹川は下に吸い込まれるように落下していく、


良太の手が笹川の制服を掴めたのは、間一髪だった。


笹川の重さに橋に叩きつけられ、直も離さず力を振り絞ったが、


良太の腕は、ミシミシと吊り橋と同じ音を立てていた。

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