第9話 人生のクライマックス
「お前が思い出せるように教えてやろう」
黒衣の骸骨がハエを祓うかのように無造作に左手を動かすと、焚き火の上に水色の淡い光を放つ水晶が浮かび上がった。その水晶は水のようにユラユラと揺らめき、現実離れしたその美しさに俺の意識は引き込まれた。
「見えるか、これがお前の以前の世界だ」
水晶の中にボンヤリと映像が見えてきた。段々と映像にピントがあっていき、やがてそれが俺が見慣れた職場だということが分かった。
オフィスでパソコンに向かい頼まれた書類を必死に作成している俺がそこにはいた。
大企業の子会社で働く35歳の派遣社員、浦木誠、それが俺だった。不安定な雇用の派遣社員故に立場は弱く、契約更新の打ち切りに怯えながら、手取り二十数万円の給料のために無能な若い正職員の悪態に耐える毎日。
将来の夢?そんなものはない。強いて言うなら、いつかカップラーメン以外のマシな昼飯をのんびりと食べたい。それすらも俺には許されない。
そんな地獄のような生活を耐え忍んでこれたのは、かれこれ結婚5年目になる最愛の妻ともうすぐ一歳になる可愛い我が子がいてくれたからだ。あぁ家族に逢いたい。気づくと俺の目からはとめどなく涙が溢れ出ていた。
「クックック。それだよそれ。やはりお前は俺の見込みどおりだったな!」
ハッとして、思わず黒衣の骸骨を睨みつけた。黒衣の骸骨の今にも吹き出しそうな満足そうな声に、俺の意識は水晶の写し出す世界から引き戻された。
「さぁ、お前のクソみたいな日常の転換点だ。目を離すな、お前の人生のクライマックスから」
黒衣の骸骨がゲラゲラと笑いながら右手をヒラヒラと振ると、今度は水晶が赤みを帯び始めた。
場面はうって代わり、普段どおり2時間程のサービス残業を終え、長めのコートを着て、脇に黒い鞄を挟み、くわえタバコでイソイソと家路に向かう俺の後ろ姿が浮かび上がってきた。
思い出した。この日の晩御飯は確か妻の作った世界一美味いカレーのはずだ!ついこの間のことだ。だがどうしてもその味を思い出すことが出来ない。
何かがおかしい。頭の中でけたたましく警報が鳴り響いた。映像に集中しなければ。
俺の家は駅から30分程離れた築30年のボロアパートだ。金がない俺が妻と二人で選んで選び抜いた賃貸。駅から離れて行くにつれドンドン辺りは暗くなっていく。近道の木々に覆われた薄暗い公園にたどり着く頃には、周りに人影は無くなっていた。
危険が迫っている。心臓の音がバクバクと聞こえる。
「ダメだダメだダメだダメだーーー!」
何とか公園に入るのを阻止しなければならない!水晶に向かって金切声をあげていた。
水晶に向かいあらん限りの叫び声をあげつづけだが、無常にも水晶の中の俺は呑気にスマホを弄りながら無防備に公園に入っていった。
公園の中程に差し掛かったあたりで、全身黒ずくめの無灯火の自転車が背後から勢いよく近づいて来て、そのまま俺にぶち当たった。
スマホに気を取られていた俺は何が起こったのかも分からず、吹っ飛び公園の樹木に顔面を打ち付けた。
黒ずくめの男はハァハァと荒い息を吐きながら、カバンから取り出した包丁を握りしめて俺に近づくと、全体重をかけて俺の背中に深々と包丁を突き立てた。
「うぎゃーー!」
俺の叫び声が静寂な公園に響き渡った。
叫び声に驚いたのか、黒ずくめの男は自転車に飛び乗り全速力で逃げ出していった。
水晶の中の俺は暫くうめきもがいていたが、やがて力尽きたのか血溜まりの中でピクリとも動かなくなった。
水晶が段々と黒くなりやがてスッと消えた。
焚き火がパチンと激しく弾けた。
「記憶を取り戻せて良かったじゃないか、浦木君!俺に感謝しろ!」
黒衣の骸骨はゲラゲラ笑いころげた。
俺はあまりの事態に頭が混乱してしまった。
「どうして、どうしてこんなことに。。。俺は死んだのか?ここはどこだ?死後の世界か?俺の家族はどうなんるだ?」
「おいおい、どうした?こんなくだらないことで取り乱しているようじゃ、先が思いやられるぞ」
初めて黒衣の骸骨が俺を真っ直ぐに見つめてきた。奇怪な骸骨に恐怖を抱いていたが、今となっては全てがどうでもよく、何の感情も湧いてこない。
「まぁいい、説明してやろう。さっきも言ったがあの世界でのお前は死んだ。フラフラと彷徨うお前の魂を偶々俺がこの世界に召喚したというわけだ。ここまではいいだろう?」
黒衣の骸骨が、妙に丁寧なツッコミどころ満載な解説を始めた。良いわけがないが、情報を得るためには話のテンポを折るわけにはいかない。俺は黙ってうなづいた。
「でだ、俺が別世界の魂を欲したのは教皇と呼ばれている人間を殺して欲しいからだ。この世界の人間には教皇を殺すことは出来ないから、わざわざ別物の魂が必要だったわけだよ。教皇殺し、やるよな?」
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