第2話 人生最後の夜
水を求めて森の中を彷徨い続け何時間たっただろうか。何処まで進んでも一向に風景が変わらない。ただただ深い森が続く。
水は必ずある。森の中は生命で満ち溢れている。原生林の中、鳥のさえずりが途切れることはないし、見たこともない巨大な虫達が元気に飛び回っている。
これだけ生き物がいるのだ。この生き物達が生きていける水辺までは近いはずだ。
歩くことに疲れたら、休憩がてら土を掘ってみる。もしかしたら、少し地面を掘れば地下から水が染み出してきてもおかしくない。
しかし期待とは裏腹に、水を得ることは出来なかった。
掘り返した土は湿っていたので、もし服があれば、服で土包み、土を絞れば水が幾分か得られたかもしれない。
だが道具となるような物は一つも持ち合わせていない。比喩ではなく本当に裸で森の中を歩いているのだ。どうしようも無い。
もしかしたら、今日中に沢を見つけ、飲み水を手に入れることは出来ないかもしれないな。俺を放置した奴等は馬鹿では無いということか。
仮に沢が見つからなくても、この湿度と気温なら夕立が降る可能性がある。まだ絶望するには早い。
普段なら夕立ちなんてごめんだが、今は恋焦がれる存在だった。数時間、汗まみれになりながら森を彷徨ったことで喉はカラカラだ。雨水でもいいから水分を取りたい。
しかし、現実は無情だった。森を彷徨っているといつしか日が落ちかけ、空が真っ赤に染まったかと思うと、直ぐに辺りが薄暗くなり始めた。一向に雨が降る気配は無い。
夜の帳が下り始めた時、新たな恐怖に駆られる。
俺は一般人だ。道具もなしに火を起こすことは出来ない。ならば夜は一人、この森の中で完全な暗闇に閉ざされることになる。
夜になれば夜行性の生き物が活発に動き始めるに違いない。野生の生き物に襲われるかもしれない恐怖に、暗闇の中、一人で耐えられるだろうか。
あぁ、今すぐ家に帰って冷たい水をがぶ飲みして、シャワーを浴びたい。そして、クーラーの効いた涼しい部屋でテレビを見ながら、コンビニの焼き鳥と漬物を肴にしてビールを飲む。気持ちよく酔っ払ったらベッドに飛び込み、気が付いたら朝。
それは何も特別なことでは無い。だというのに、何という贅沢なんだろう。
記憶を失っているので家の住所や間取りは思い出せないが、一般的な日常生活や単語は覚えているようだ。
それにしても、なんで俺がこんな悲惨な目に遭わなきゃならないんだろうか?
極度な喉の渇き、空腹感、慣れない森の中を一日中歩いた疲れ。理不尽な目に遭わされる怒り。そしてこれから訪れる闇夜に対する恐怖。酷いもんだ。
夜がこんなに怖いものだなんて知らなかった。今までは夜よりも、仕事に向かう朝の方が怖かった。ずっと夜ならいいのにと何度思ったことだろうか。だが今は違う。
夜が怖い。
だがどうしようもない。完全な暗闇に包まれる前に寝床を確保しなくては。
本当は横になりたいが、森の中で裸で地面に横たわることははばかられたので、茂みに囲われた大木に寄り掛かり休みことにした。
少しでも休めるように、木の根の間に草を敷き詰め、その上に座り休む。
草を集めては木の根の間に敷き詰めていると、いつの間にか辺りは暗闇に覆われていた。満足な準備も出来ないまま大木に寄り掛かり、座りこむ。
これから一体どうなるのだろうか。今や死の危険をすぐそばに感じることができる。この蒸し暑い中、もう一日水無しで動くことは出来ないだろう。
明日、水を手に入れることが出来なければ途中で力尽きて死ぬ。今日一日歩き回れば水は手に入ると思ったが甘かった。
そりゃそうだ。俺は殺されかけているのだ。水辺や道の近くに俺を放置するわけが無い。こんな犯罪をおかした連中だ、入念に計画を練ったのだろう。
水を得て生き延びることが出来る確率はごく僅である事実、その重大さに今更になって、気付くことができた。
そんなことを考えていると、日中の火照るような暑さが幾分か落ち着いて来た。虫の鳴き声、時折生暖かい風が木々を揺らす音が聞こえる。
それと同時にプーンという音をたてながら蚊が纏わりついてきた。何度追い払ってもすぐに蚊が集まってくるため、クタクタになる。座っているだけでストレスが溜まる。とてもゆっくりと休むことなんて出来ない。
手を振り回し蚊と格闘していると、突如不気味な「ギャリオーーース」というな聞いたことがない鳴き声が地響きのように森の中に鳴り響いた。
その直後、「ウギィヤァーーー!!」という悲鳴のような鳴き声が聞こえ、恐怖で身体が硬直した。
これはツキノワグマの鳴き声なのだろうか?この森の深い闇の中にはどんでもない猛獣が潜んでいる。想像するだけで恐怖で体が震える。とても睡眠どころではない。
熊に見つからないように膝を抱え顔を埋めて小さく震えることしかできない。
どれぐらいそうやって過ごしたのだろうか、体力の限界を迎え少しだけうたた寝をすることが出来た。しかし、ほんの少し寝ると蚊が飛び回る音と窮屈な姿勢のせいで身体が痛み、意識が戻ってしまう。
身体は疲れて睡眠を欲しているのに、深く眠ることが出来なかい。
こんな苦しく辛い夜が人生の最期の夜になるかもしれないと思うと、改めて、なんで自分がこんな理不尽な目に遭わないといけないのかと涙が出てきた。
何度も浅く寝て起きてを繰り返しているうちに、ようやく日が上りかけ、周囲にうっすらと光が差し込み始めた。
永かった人生最期の夜が明けた。
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