第361話 即心是仏その十二 即心是仏の仏

 「「ぶつ百草はくそう拈却ねんきゃしきたり、打失たしつしきたる。しかあれども丈六の金身こんじん説似せつじせず。」

 「仏」とは、全ての存在(百草)であり、それらをつかみとったり、失ってしまったりする。それが仏ではあるのだけれども、丈六の金身(釈尊の姿)であると説くことはしない。

 仏とは何かというならば、全ての存在、森羅万象が仏だ。我々はその中で何かをつかみとったり失ったりを繰り返していく。そのことも仏なのだろう。だからと言って、それを釈尊の姿であるなどと言う必要はない。現実の存在は現実の存在としてありのままにあるだけだ。それをそのまま受け取ればいいのだ。そう思っている。

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