第360話 即心是仏その十一 坐禅した身心

 「いはゆる仏祖の保任ほうにんする即心是仏は、外道二乗ゆめにも見るところにあらず。唯仏祖与仏祖ゆいぶっそよぶっそのみ即心是仏しきたり。究尽きゅうじんしきたる聞著もんじゃあり、行取あんしゅあり、証著しょうじゃあり。」

 いわゆる仏祖がしっかりと保っている即心是仏は仏教以外の考え方を信じる者、声聞乗しょうもんじょう縁覚乗えんがくじょうの二乗により仏教を学ぼうとする者は夢にも見ることの無いものである。ただ仏祖と仏祖のみが即心是仏を自分のものにしてきたのである。究め尽くした聞くということがあり、行うということがあり、はっきりと体得するということがあるのである。

 声聞乗・縁覚乗のことはよくわからない。私は僧ではないし学問として仏教を学んでいない。声聞乗は言葉で学ぶ人、縁覚乗は一人環境に頼って学ぶ人というようなイメージを持っているだけだ。

 私は坐禅しながら正法眼蔵を読めばそれで十分だと思っている。

 仏祖とは坐禅しながら仏教を学んだ人だと思っている。

 坐禅した身心は真実・真理を聞くなどの五感で受け止めることができ、真実・真理に従って行動することができ、真実・真理を体得することができるのだ。そういう考えている。 

 坐禅した身心を経験しない限り、ただ文字から正法眼蔵を理解しようとしてもそれは不可能だ。

 この後即心是仏についての道元禅師の詳細な解説がある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る