第357話 即心是仏その八 即心是仏についての問答①

 「大唐国大証国師慧忠和尚問僧、「従何方来(いずれの方よりか来れる)」

僧曰いはく、「南方来(南方より来る)」。

師曰、「南方有何知識(南方にいかなる知識か有る)」。

僧曰、「知識頗多(知識頗すこぶる多し)」。

師曰、「如何示人(如何が人に示す)」。

僧曰、「彼方知識、直下示学人即心是仏。仏是覚義、汝今悉具見聞覚知之性。此性善能揚眉瞬目、去来運用。徧於身中、挃頭頭知、挃脚脚知、故名正遍知。離此之外、更無別仏。此身即有生滅、心性無始以来、未曾生滅。身生滅者、如龍換骨、似蛇脱皮、人出故宅。即身是無常、此性常也。南方所説、大約如此(彼方の知識、直下ちょくかに学人に即心是仏と示す。仏は是れ覚の義なり、汝今、見聞覚知けんもんかくちしょう悉具しつぐせり。此の性善能揚眉瞬目ようみしゅんもくし、去来運用こらいうんようす。身中にあまねく、頭にるれば頭知り、脚に挃るれば脚知る、故に正遍知しょうへんちと名づく。此れを離るるのほか、更に別の仏無し。此の身は即ち生滅有り、心性は無始より以来、未だかつて生滅せず。身、生滅するとは、龍の骨をふるが如く、蛇の皮をだっし、人の故宅を出づるに似たり。即ち身は是れ無常なり、其の性は常なり。南方の所説、大約此かくのごとし)」。

 偉大な唐の国の南陽慧忠なんようえちゅう禅師が僧に質問した「お前さんはどこから来たのか」。

 僧は「南方から来ました」と答えた。

 師は言った「南方にはどのような仏教の指導者がいるのか」。

 僧は言った「指導者はたくさんいる」。

 師は言った「どのような教えを示しているのか」。

 僧は言った「南方の指導者はすぐに仏道を学ぶ人間に即心是仏を示します。仏とは「覚」のことであり、お前は今、見る、聞く、覚知するという性をすべて不足なく十分に備えている。この性は眉を揚げたり瞬きをしたり、行ったり来たりすることができるようにする。この身に行き渡り、頭に触れば頭はそれを知り、脚に触れば脚はそれを知る。だから正しく行き渡った智慧、正遍知というのである。この性のほかに別の仏はない。この身は生まれたり滅んだりするが、心性は始まりもわからない無始の頃からずっと未だかつて生まれたり滅んだりしたことはない。身が生まれたり滅んだりするというのは、龍が骨を換えて成長したり、蛇が脱皮したり、人が古い家を出ていくようなものである。つまり身は無常なものであるが、この性は常に変わらない。南方の指導者の示すことはおおよそこのようなものです」。

 南陽慧忠禅師は釈尊の直系である中国の六祖大鑑慧能禅師から法を嗣いだ方である。

 南陽慧忠禅師と一人の僧との問答。この僧が指導を受けたその内容について南陽慧忠禅師が質問し僧が答えている。

 即心是仏について南方の指導者は、心=性・心性つまり霊知・霊魂であるという。その心=仏とは感覚、ものを覚知するもの、身体を動かすものであり、心(性・心性)は身体に行き渡っているからだという。そして身は無常で滅するけれど心(性・心性)は永遠不変だという。

 前回までに書いたとおりこのような考え方は仏教ではない。しかし、当時中国においてこのような仏教ではない考え方をする僧侶たちがかなりの数いたということのようだ。

 次回は南陽慧忠禅師の言葉となる。

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