第356話 即心是仏その七 外道の説く「心」⑤

 「かくのごとくの本性をさとるを常住にかへりぬるといひ、帰真の大士といふ。これよりのちは、さらに生死を流転るてんせず、不生不滅の性海しょうかいに証入するなり。このほかは真実にあらず。この性あらはさゞるほど、三界六道は競起きんきするといふなり。これすなはち先尼外道が見なり。」

 このようなものである本性を悟ることを常住つまり永遠の状態に立ち還ると言い、真実に帰った者・帰真の大士と言う。このような状態になった後は、さらに生死を流転するということはなく、新たに生まれることもなく滅することもない真実の大海に入り込むのである。これ以外に真実はない。この本性を現すことができないならば、欲界・色界・無色界という三界や地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道が次から次へと起こって来るというのである。これがすなわち仏教の考え方ではない先尼外道の考え方である。

 本性とは前回に書いてある通り霊知・霊魂のことだ。霊知・霊魂を悟るならば永遠の存在となれるのだという。そうでないと三界・六道の中をさまよいもみくちゃにされ安心することがないと言っている。このように考えるのが仏教以外の考え方つまり外道の考え方だ。心=霊知・霊魂だと考えるのは仏教の考え方ではない。

 時々、三界・六道を輪廻転生するなどと言う人間がいるが、このような考え方は仏教ではない。そう道元禅師は説いておられる。

 怪しげな宗教団体は、「こうすれば悟りを得られる。安心を得られる。幸福になる」「言うとおりにしないと地獄に落ちる。不幸がやって来る。苦しみから抜け出せなくなる」と脅迫して金を巻き上げる。

 永遠不変の安心などという訳のわからんものを追求するのは仏教ではない。仏教はこの毎日の瞬間瞬間をいかに大宇宙の真実・真理と一体となって生きていくかを教えるものだ。それは普通に生きるということだ。普通に生きるとは苦しい、つらい、悲しい時もあるということだ。苦しさ、つらさ、悲しさが無くなるなとということはない。人間だから当たり前だ。しかし、苦しさ、つらさ、悲しさに正しく対応することはできる。苦しさ、つらさ、悲しさに囚われ振り回され訳がわからなくなるようにならない。そのように毎日瞬間瞬間を生きていく。その考え方、方法を教えるのが仏教だ。そう思っている。

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