第347話 身心学道その三十五 生死を頭尾とする

 「生死を頭尾ちょうびとして、尽十方界真実人体はよく飜身回脳ほんしんういのうするなり。飜身回脳するに、如一銭大にょいっせんだいなり、似微塵裏じみじんりなり。」

 生死を始まりから終わりとして大宇宙全体と一体となった真実の人体は身体を翻し、頭脳を巡らせて瞬間瞬間を過ごしていくのである。身体を翻し頭脳を巡らせていくのであるが、そのことは一銭という貨幣というような大きさの具体的な日常生活であり、一つ一つの細かいことを大事にしていくことなのである。

 我々が生きるということは、生死を合わせて瞬間瞬間を過ごしているということだと思っている。生きる死ぬは常に背中合わせというか一体のものであると感じる。だから常に生死の中で身体をフルに使い頭脳をフルに使って生きていくしかない。

 その時は特別なことをする訳ではない。他人からもてはやされ、称賛されるような大仰なことをする訳ではない。一銭の硬貨のようなごくありふれた当たり前のことをするだけである。細かな一つ一つの動作をきちんとするだけである。そもそも日常生活の瞬間瞬間をきちんとできないのならその人間は駄目である。人間の価値は今この瞬間に何をしているかで決まる。それ以外にはない。過去すごいことをやったとしても今盗みを働けば泥棒でしかない。

 だから日常生活の瞬間瞬間を一生懸命生きるしかないのだ。

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