第344話 身心学道その三十二 死の生に相対するなし

 「生は栢樹子はくじゅしのごとし。死は鉄漢のごとし。栢樹はたとひ栢樹にせらるるとも、生はいまだ死に礙せられざるゆゑに学道なり。生は一枚にあらず、死は両疋りょうひつにあらず。死の生に相対そうたいするなし、生の死に相待するなし。」

 生は庭に立っている栢樹という樹木のようなものである。死は鉄漢のような強固な修行者のようなものである。栢樹は栢樹以外の何ものでもないものとして存在しているのだけれども、生は死にいまださまたげられることがないから仏道を学べるのである。生はひとつと数えられるものではなく、死もふたつということでもない。死は生と相対するものではなく、生は死と相待するものでもない。

 生が栢樹子、死が鉄漢、というのはよくわからない。

 ここでは、生と死を相対あいたいするものとして捉えるのではなく、生の時は生、死の時は死と捉えよということではないかと思う。だから生の時、生きている時は生きている時として一生懸命に仏道を学べ、坐禅せよということだと思っている。

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