第340話 身心学道その二十八 尽十方世界真実人体

 「自然天然の邪見をならふべからず。界量にあらざれば広狭にあらず。尽十方世界は八万四千の説法蘊せっぽううんなり、八万四千の三昧なり、八万四千の陀羅尼なり。八万四千の説法蘊、これ転法輪なるがゆゑに法輪の転処は亙界かんかいなり、亙時かんじなり。方域なきにあらず、「真実人体」なり。いまのなんぢ、いまのわれ、尽十方世界真実人体なる人なり。これらを蹉過さこすることなく学道するなり。」

 修行つまり坐禅しなくても自然に真実・真理を体得できるなどという自然天然の誤った考え方を学んではいけない。世界の大きさは量る対象ではないから広いとか狭いというものではない。全宇宙は限りない八万四千の説法の集まりであり、八万四千の坐禅の境地であり、八万四千の唱えるごとに力があるとされる陀羅尼である。八万四千の説法の集まりは、真実・真理を展開するものであるから、真実・真理の展開するところは全宇宙であり、あらゆる時間である。方向とか場所が無いわけではないが、真実人体なのである。今この瞬間ここにいるお前さんも自分も全宇宙である真実人体の人間である。これらのことを通り過ぎて見過ごすことなく仏道を学ぶのである。

 坐禅して大宇宙と一体となる、真実・真理と一体となった時には広いとか狭いという尺度は消えている。無限の(八万四千の)真実・真理を説く説法に満ち溢れているし、坐禅の境地は無限であり、真実・真理の言葉、陀羅尼に埋め尽くされている。坐禅するとそれが実感される。

 陀羅尼を呪文だとして、陀羅尼を唱えると「ご利益」があるとか言うがそんな怪しげな神秘的なものではないと私は思っている。仏教を学ぶ上で重要なことを陀羅尼という形で表現しているだけだろう。重要なことは何度も繰り返して覚えなければいけない。身心に染み込ませないといけない。それが身に付いたなら真実・真理に近づけるだろう。もちろん坐禅していなければ駄目だが。

 坐禅して大宇宙と一体となり真実・真理と一体となった時、森羅万象は真実・真理を説く説法となる。真実・真理は過去、現在、未来どの時間においても真実・真理だ。だから「亙界かんかいなり、亙時かんじ」なのだ。

 一方で今この瞬間この場所に生きているのだから「方域なきにあらず」である。今この瞬間この場所に存在する自分は真実人体だ。大宇宙と一体となった真実人体なのだ。そのことをしっかりつかんで坐禅しながら生きていく。仏道を学んでいく。「蹉過さこすることなく学道するなり」である。

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