第339話 身心学道その二十七 尽十方世界真実人体

 「「人体にんたい」は四大五蘊しだいごうんなり、大塵ともに凡夫の究尽するところにあらず、聖者しょうじゃの参究するところなり。又一塵に十方を諦観たいかんすべし、十方は一塵に嚢括のうかつするにあらず。あるいは一塵に僧堂・仏殿を建立こんりゅうし、あるいは僧堂・仏殿に尽界を建立せり。これより建立せり、建立これよりなれり。恁麼の道理、すなはち尽十方世界真実人体なり。」

 「人体」とは四大五蘊(地水火風、色受想行識)であり、大塵(四大六塵、六塵は色・声・香・味・触・法)とともに凡夫が究め尽くすことができるものではなく、大宇宙の真実・真理と一体となった人間が究めることができるものである。また、一つの塵に十方世界があることをはっきり受け止めなければいけない。十方世界は一つの塵に包まれているのではない。あるいは一つの塵の中に僧堂や仏殿を建立し、あるいは僧堂や仏殿でもって全宇宙を建立することもある。四大五蘊であり大塵である人体によって建立され、建立とは四大五蘊であり大塵である人体によってなされる。このような道理がすなわち尽十方世界真実人体であるということである。

 我々の身体は地水火風という物質の構成要素からなり、また色(物質)であり受(受け止める感覚)、想(受け止めたことからの想念)、行(行動)、識(行動によってもたらされる意識)によって、また色(物質)、声(声を出す働き)、香(嗅覚)、味(味覚)、触(皮膚感覚などの感覚)、法(色声香味触以外のすべてのもの)から成り立っているという。これらは大宇宙の構成要素と全く同じだ。つまり我々は大宇宙そのものであると言えるだろう。

 この宇宙の中のどんなに小さなものも宇宙である。一方で宇宙は宇宙であり、塵は塵であるのも事実だ。そのことが「一塵に十方を諦観たいかんすべし、十方は一塵に嚢括のうかつするにあらず」ということなのだと思っている。 

 坐禅をすると人体と宇宙が同じものであるということが実感される。真実・真理と一体となったその状態は「僧堂・仏殿を建立」するのと全く同じなのだ。

 坐禅して「尽十方世界真実人体」であることを感得しよう。そしてその状態は坐禅を毎日続けることで維持されていくのだ。

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