第338話 身心学道その二十六 人体は大宇宙である

 「「尽十方世界」といふは、十方面ともに尽界なり。東西南北四維上下とうざいなんぼくしゆいじょうげを十方といふ。かの表裏縦横の究尽なる時節を思量すべし。思量するといふは、人体はたとひ自他に罣礙けいげせらるといふとも、尽十方なりと諦観たいかんし、決定けつじょうするなり。これ未曾聞みぞうもんをきくなり。方等なるゆゑに、界等なるゆゑに。」 

 「尽十方世界」というのは十の方面すべてが尽く大宇宙であるということである。東西南北と四維(東西南北各々の間)と上下を十方という。この十方の大宇宙の表も裏も縦も横もすべて究め尽くしている時節(坐禅をしている時)を思量しなければいけない。思量するというのは、人体はたとえ自分と他人と分別されているとしても、坐禅したこの身体は十方を尽くし大宇宙と一体なのだとはっきりと見極めてこれで間違いないと思い定めるのである。これは未だかつて聞いたことのないことを聞くことである。すべての方角は均衡が取れていて等しいからであり、大宇宙は均衡が取れていて等しいからである。

 ここはまさに坐禅の境地だと思っている。人間は大宇宙の一部であり、大宇宙そのものなのだ。坐禅して身心脱落した時そのことが実感できる。澤木興道氏の言う「大宇宙とぶっ続きになる」ということだ。普段囚われている観念や欲望やらを坐禅によって振り落とす、脱け出さなければいけない。

 大宇宙は均衡の取れた真実・真理の世界だ。坐禅して大宇宙と一体となった時真実・真理と一体となれる。そしてこれが本来の人間のあり方なのだ。本来の面目なのだ。

 今の世の中本来の姿を見失ってしまっている。本来の面目に立ち還らずして何ができるというのか。小手先の上っ面な言動をやめなければいけない。そのためには坐禅するしかないのだ。

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