第337話 身心学道その二十五 威音王

 「しかあるに、棄身するところに揚声止響ようしょうしきょうすることあり、捨命しゃみょうするところに断腸得髓することあり。たとひ威音王よりさきに発足学道はっそくがくどうすれども、なほこれみづからが児孫じそんとして増長ぞうじょうするなり。」

 そういうことだが、仏道に身を棄てて学ぶならば、声を揚げているところが分かれば響きを止めることができるし(根本のところを理解する)、命を棄てるところに煩悩を断ち切り仏道の重要な所(髓)を得ることがある。たとえ釈尊よりはるか昔(過去無量無辺阿僧祇劫かこむりょうむへんあそうぎこうに現れた威音王よりも前に仏道を学ぶ活動を始めたとしても、やはりこれも我々の児孫につながって増長していくものなのである。

 棄身、捨命というと厳しい言葉であるけれど、自分の思惑や頭の中の観念また社会のしがらみなどを振り捨てて坐禅することと理解してもいいのではないかと思っている。坐禅して一生懸命に仏道を学ぶならば、根源を知り重要な髓を得ることができると信じている。

 仏教は大宇宙の真実・真理を体得するものだ。大宇宙の真実・真理は宇宙が生まれた時(宇宙がどのように生まれたか知らないけど)から存在している。そして未来永劫存在する。永遠不変のものだ。釈尊は仏教という形で我々に大宇宙の真実・真理を説かれたが、釈尊以前から大宇宙の真実・真理は続いている。だからどの時代であろうと仏教を学ぶ人は全て児孫なのだ。このことが永遠につながり拡がっていくのだ。それが「なほこれみづからが児孫じそんとして増長ぞうじょうするなり」ということなのだと思っている。

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