第336話 身心学道その二十四 積功累徳
「これら
身学道のこの身は誰も住まなくなった家の壊れた家具のようなものではなく、仏道を学び続けることの功が積み重なり徳が累積したものなのである。様々な観念から跳びあがって全世界が美しく光り輝き、様々な観念が抜け落ちて藤のつるが樹に巻き付いているようにごく自然な状態である。ある時はこの身を現して救うために説法をし、ある時はこの身以外の身を現して救うために説法をし、ある時はこの身を現すことなく救うために説法をし、ある時はこの身以外の身を現すことなく救うために説法をし、乃至は説法をしないこともあるのだ。
我々の身体は坐禅した瞬間に真実・真理と一体となる。坐禅を毎日続けることで積功累徳となる。坐禅したこの身は普段囚われている頭の中の観念や習慣などから飛び出し光り輝く世界の中にいるようなこともあるし、藤のつるが樹に巻き付くように現実の世界でごく普通の姿になる時もある。
精神的と肉体という場合、精神が肉体よりも上位のように扱われることがある。しかし我々はこの肉体、身を使って生きていくのだ。坐禅した身は玲瓏八面であり如藤倚樹なのだ。坐禅を毎日続けることでこの身は真実・真理と一体となって活動するのだ。
坐禅を毎日続けることが積功累徳なのだ。
「或現此身得度而為説法」以下は観音経が引用されている。観世音菩薩は相手やその時その場所に相応しい姿を現して説法をする。説法をすることが不適当な時もある。真実・真理を得るために最適な方法を取る。我々のこの身体は一つだけれども、その時その場所に相応しい振舞いをすることが真実・真理に適っている。坐禅した身心はその時その場所に最適な振舞いができるようになる。そのことが説かれているのだと思っている。
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