第332話 身心学道その二十 平常心

 「「平常心びょうじょうしん」といふは、此界他界しかいたかいといはず、平常心なり。昔日せきじつはこのところよりさり、今日はこのところよりきたる。さるときは漫天まんてんさり、きたるときは尽地きたる。これ平常心なり。平常心この屋裏おくりに開門す、千門万戸一時開閉なるゆゑに平常なり。」

 「平常心」というものは、この世界別の世界と言わず同じ平常心である。過去は今この瞬間のところから去り、今日は今この瞬間のところから来る。去るときは天全体が去り、来るときは大地が尽くやってくる。これが平常心である。平常心は今この所の屋裏に門を開いており、それは千の門、万の戸が一時に開いたり閉じたりしているのだから平常心なのである。

 平常心という言葉は、何か事が起こっても冷静に穏かに対応できる心というように使われているように思う。けれどここでの平常心びょうじょうしんというのは、ごく普通の当たり前の心という感じだと思っている。心本来の姿、それが平常心なのではないだろうか。坐禅した心の状態と言ってもいいかもしれない。

 今この瞬間を生きている。この瞬間に全宇宙がある。そうして生きていくことが平常心なのだろう。坐禅して大宇宙と一体となり、ありのままのこの瞬間を一生懸命に生きていく。全ての世界はありのままに開かれているのだ。

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