第331話 身心学道その十九 いかにあらむかこれ古仏心

 「「古仏心」といふは、むかし僧ありて大証国師にとふ、「いかにあらむかこれ古仏心」。ときに国師いはく、「牆壁瓦礫しょうへきがりゃく」。しかあればしるべし、古仏心は牆壁瓦礫にあらず、牆壁瓦礫を古仏心といふにあらず、古仏心それかくのごとく学するなり。」

 「古仏心」というのはどういうものかというと、昔一人の僧が大証国師(南陽慧忠禅師)に質問した。「古仏心とはどういうものでしょうか」。その時国師の言うことには「牆壁瓦礫、垣根、壁、瓦、小石」。そういうことであるから知らなければいけない、牆壁瓦礫=古仏心ではないのである。牆壁瓦礫を古仏心と言うのではないのである。古仏心はこのように学ぶのである。

 ここのところは「何だこれは」と感じるところだと思う。

 古仏心は何かと質問された南陽慧忠禅師は「牆壁瓦礫」と答えた。

 私なりの解釈。

 心とは何か。心とはこういうものですと言葉にすることはできない。ただ牆壁瓦礫、垣根や壁や瓦や小石があるとわかることが心があるということだ。現実世界の存在をありのままに受け止めることが心があるということの証拠だ。

 現実世界をありのままに受け止めることが心だ。だから牆壁瓦礫そのものが心ではない。「古仏心は牆壁瓦礫にあらず、牆壁瓦礫を古仏心といふにあらず」である。

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