第329話 身心学道その十七 発菩提心の正当恁麼時

 「発菩提心の正当恁麼時しょうとういんもじには、法界ことヾく発菩提心なり。依を転ずるに相似なりといへども、依に知らるゝにあらず。共出一隻手ぐしゅついしゃくしゅなり、自出一隻手、異類中行なり。地獄・餓鬼・畜生・修羅等のなかにしても発菩提心するなり。」

 発菩提心、菩提心が起こるまさにその時には、この世界の森羅万象全てのものが菩提心を起こしているのである。周囲の環境を転換しているようであるけれども、環境の方ではそのようなことを知られることはない。自分と環境とが共に片手を差し出しているのである。自分自身で片手を差し出すのであり、周囲と異なっていたとしてもその中を進んでいくのである。地獄・餓鬼・畜生・修羅などの状態の中にいたとしても発菩提心、菩提心を起こすのである。

 「法界ことごとく発菩提心なり」菩提心を起こし坐禅している時というのは大宇宙と一体となった状態、澤木興道氏の言う宇宙と継ぎ目が無い状態だから、大宇宙の全てが発菩提心となるということだろう。

 このことは、大宇宙を転換して発菩提心の状態にしているようであるけれども、現実には大宇宙はありのままに存在しているだけだ。大宇宙そのものに自分自身がなっているのだから、大宇宙の側から見れば何も変わらない。「依に知らるゝにあらず」だ。

 大宇宙と一体となっているのだから、大宇宙と自分自身が共に手を差し伸べているということであるし、大宇宙と一体なのだから自分自身が手を差し伸べているだけだとも言えるだろう。発菩提心は自分自身のこととして周りの人間がどうであれやり抜くしかない。異類中行だ。

 発菩提心、真実・真理を得たいと願うのは、例え地獄であろうと餓鬼という状態であろうと畜生という状態であろうと修羅という状態であろうと関係はない。

 真実・真理を得たいと願うこと。このこと以外に望むことがあるだろうか。真実・真理に従って生き、真実・真理を実現することの他にやるべきことがあるだろうか。人間の生きる根本が真実・真理を得ることに定まらない限り何も得ることはできない。そう思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る