第323話 身心学道その十一 ありのままにある

 「向来きょうらいはたゞこれしんの一念二念なり。一念二念は一山河大地なり、二山河大地なり。山河大地等、これ有無にあらざれば大小にあらず、得不得にあらず、識不識にあらず、通不通にあらず、悟不悟に変ぜず。」

 過去から現在まではただ心の瞬間瞬間の積み重ね(一念二念)である。この瞬間瞬間に山河大地が存在している。瞬間瞬間の山河大地等は有るとか無いとかを論じる対象ではなく、大きい小さいの問題でもない。得るとか得ないとかの対象ではないし、意識する意識しないということでもなく、精通しているとかしていないとかの問題でもなく、悟ったとか悟っていないとかによって変わるものでもないのである。

 心と大宇宙に存在するものは分けて考えるものではない。心と存在するものは別物ではない。心があることにより存在が存在するものになる。

 坐禅することによりあらゆるものがありのままに現れてくる。心と大宇宙が一体となる。その時には有無とか大小とかの観念は超越している。得たとか得ないとか、意識するしないとか、精通しているとかしていないとかという人間の思い計りも超越する。そして悟ったとか悟っていないとかそんなこととは関係なくありのままにあるのだ。悟ったなどという観念に囚われてはいけない。悟ろうが悟らなかろうが事実はありのままにあるのだ。悟り悟りと悟りという言葉に囚われてはいけない。

 人間というのはありのままの事実がわからなくなってしまうものだ。世の中で起きている様々な事件を見ていると、欲望、見栄、体裁、過去からの因習などに囚われてありのままの事実がわからなくなってしまっていることがよくわかる。

 だから坐禅してありのままの事実と一体とならなければいけないのだ。坐禅することが悟りなのだから、黙って坐禅しておればいいのである。

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