第317話 身心学道その五 心を放下する

 「これらのしん放下ほうげして学道するあり。拈挙ねんこして学道するあり。このとき、思量して学道す、不思量して学道す。」

 これらの様々な心を放り捨てて仏道を学ぶことがあり、心を使って仏道を学ぶことがある。この時考えて仏道を学ぶことがあり、考えることをやめて仏道を学ぶことがある。

 「心を放下して学道するあり」は坐禅することだと思っている。

 「(心を)拈挙して学道するあり」これは経典を読んだり師から教わったりすることだろう。

 坐禅しなければ何も始まらない。何はともあれ坐禅しなければいけない。それに加えて経典などを学ぶのだ。

 坐禅も経典も必要だ。一方だけではいけない。

 経典を読むと言っても、経典は膨大にある。とても読みきれないし、何に手をつければいいかわからない。どうするか。正法眼蔵を読んでいれば良い。

 心を放下すると言うと、「無心になる」と思うかもしれないが、そうではない。生きている人間が無心になることなど無いと言っていいのではないか。無我夢中で行動していて何も考えていないということはあるかもしれないが。

 坐禅して無心になるなどと言うことは誤りだと思っている。坐禅していると様々なことが浮かび上がってくる。浮かび上がってくるのなら放って置けばいい。浮かび上がってくるものを追いかけてはいけない。様々なことが浮かび上がってくるが、現実にはただ一人で坐禅しているだけだ。そうすると人間は頭の中に浮かび上がってくるものと現実の区別がつかなくなって、おろおろうろうろしていることがわかる。自分の頭の中には色んなことが浮かび上がってくるんだなあと気付く。そして現実がありのままにあることが感得できる。これが「心を放下する」ということだと思っている。

 経典を読む等思量して学び、坐禅して不思量して学ぶのだ。

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