第316話 身心学道その四 赤心片々

 「たとひいまだ真実の菩提心おこらずといふとも、さきに菩提心おこせりし仏祖の法をならふべし。発菩提心なり、赤心片々せきしんへんぺんなり、古仏心なり、平常心びょうじょうしんなり、三界一心さんがいいっしんなり」。

 たとえまだ真実の菩提心が起こっていなくても、これまでに菩提心を起こした仏祖が行ったこと、つまり法を学ぶことをすべきである。そしてそのことが菩提心を起こすことであり、純粋な心の一つ一つであり、遥かな過去から続いてきた古仏の心であり、ありのままに全てを受け入れる心であり、欲界、色界、無色界という三界どの世界においても一つである心なのである。

 ここは坐禅している状態と考えてよいのではないかと思う。仏祖の方とは坐禅だと思っている。真実・真理を知りたいと願うということを意識していなくても、坐禅すればそれが発菩提心だ。真実・真理を知りたいという純粋な心=赤心が瞬間瞬間に現れつながっていく。瞬間瞬間に現れつながっていくことを片々と表現されている。

 坐禅することははるか昔からの仏、古仏と同じ状態になることである。

 平常心とは坐禅し大宇宙と一体となったとき世界がありのままに現れてくる状態を言っていると思っている。そして本来これが普通の心の状態なのだ。だから平常心なのである。

 欲界とは意識、精神の世界。色界は客観的な物質の世界。無色界は精神世界と物質の世界が統合された今この瞬間の現実の世界、そのように理解している。西嶋和夫氏は無色界を行動の世界とされているが、現実と向き合って行動するという意味で精神と物質双方を踏まえた現実世界と理解していいのかもしれないと思っている。坐禅することで欲界、色界、無色界というような観念的な区分は消え去りただありのままの姿が現れる。それが三界一心ということなのだと思っている。

 仏教が安心をもたらすとか心の平安を得られるとか言うことがあるけれど、そういう側面もあるとは思うが、最も重要なのは真実・真理を知りたい、真実・真理を得て真実・真理に従って生きるということなのだ。そう思っている。

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