第315話 身心学道その三 感応道交

 「しんをもて学するとは、あらゆる諸心をもて学するなり。その諸心といふは、質多心しったしん汗栗駄心かりだしん矣栗駄心いりだしん等なり。又、感応道交かんのうどうこうして、菩提心をおこしてのち、仏祖の大道だいどう帰依きえし、発菩提心ほつぼだいしん行李あんりを習学するなり」。

 心をもって仏道を学ぶとは、あらゆる様々な心をもって学ぶのである。その諸心とは、質多心、汗栗駄心、矣栗駄心等である。また、大宇宙の真実・真理を感じ取り、真実・真理を知りたいという菩提心を起こして仏祖の偉大な道、仏道に帰依して、真実・真理を知りたいと念じる人間が行う日常生活を学んでいくのである。

 仏教には様々な心があるらしい。私は学問として仏教を学んでいないし、宗門にも無関係なので、これらの心のことはよく知らない。

 ここのところは、色々と心はあるけれども、その全て、諸心で学べということだろう。全ての心ならば、今この自分の心でよいのだと理解してよいだろうと思っている。

 感応道交。この文章の最初の方に書いたけれど、かつて私が関わったプロジェクトで起こったことの中で、一体正しいとは何なんだ、真実・真理とは何なんだという思いに駆られていた。その中で立ち寄った書店で手に取ったのが岩波文庫の正法眼蔵だった。何故だか説明はできない。不思議としか言いようがない。真実・真理を知りたいという気持ちが感応道交して正法眼蔵に出会った。そうとしか言えない気がする。何と感応道交したのか。大宇宙の真実・真理と感応道交したんじゃなかろうか。大宇宙の真実・真理を仏と言ってもいいかもしれない。

 菩提心は真実・真理を知りたいと願う心。

 発菩提心の行李を習学。真実・真理を知りたいと願う気持ちを起こしたのちの日常生活を学ぶ。仏教とは人間が瞬間瞬間どのように生きればよいのかを教えるものだと思っている。だから日常生活の瞬間瞬間、一つ一つの行動が重要だ。敢えて難行苦行する必要はない。普通に生活していればよい。毎日の瞬間瞬間の行動の積み重ねだけが重要だ。日常生活をどのように送ればいいのか、それが全てだ。だから日常生活をどのように送るか学ばなければいけない。

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