第6章 身心学道

第313話 身心学道その一 汚染してはいけない

 身心学道しんじんがくどうの巻に入る。仏道を身心で学ぶことについて書かれている。身心とは何か。身で学ぶとはどういうことか。心で学ぶとはどういうことか。道元禅師が示してくださる。

 「仏道は、不道を擬するに不得ふてなり、不学を擬するに転遠てんのんなり。南嶽大慧なんがくだいえ禅師のいはく、「修証しゅしょうはなきにあらず、汚染わぜんすることえじ」」。

 仏道は仏道ではないとしようとしてもそれはできず、仏道を学ばないとしようとすれば仏道からどんどん離れてしまう。南嶽慧譲なんがくえじょう禅師がおっしゃった「修行やそのあかしはないことはないが、頭の中でああだこうだとこねくりまわすことは仏道をけがすことになる」。

 仏道は大宇宙の真実・真理そのものになり真実・真理によって生きることを示すものだ。この大宇宙にいるのだから、その真実・真理以外に生きる方法はない。だから仏道を否定することはできない。だから「不道を擬するに不得」である。

 しかし、真実・真理そのものになるためには学ばなければいけない。何もせずに真実・真理に生きることはできない。「不学を擬するに転遠なり」。

 修証はなきにあらず。私は修証とは坐禅することが修、坐禅した身心の状態つまり大宇宙の真実・真理と一体となることが証だと思っている。「修証は無きにあらず」。

 「汚染することえじ」。坐禅することによって身心が大宇宙と一体、大宇宙そのものとなり、大宇宙の真実・真理が身心に染み込む。澤木興道氏の「宇宙とぶっ続きになる」という状態だ。

 この時、頭の中での、脳味噌での、ああだこうだと観念をいじくり回すことは停止し、振り捨てられている。人間は頭の中の観念を現実と錯覚し、観念に振り回されて間違ったことをしでかす。観念を振り捨て、大宇宙と一体となって、この現実をありのままに身心で感得しなければならない。坐禅の境地を頭の中の観念で汚してはいけない。

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