第310話 仏性その百十九 生死と仏性

 「又、仏性はしょうのときのみありて、死のときはなかるべしとおもふ、もとも少聞薄解しょうもんはくげなり。しょうのときも有仏性なり、無仏性なり。死のときも有仏性なり、無仏性なり」。

 また、仏性は生きている時のみにあって、死の時にはないににちがいないと思うのは、最も仏教を学ぶことが少なくて理解が薄いのである。生の時も有仏性であり無仏性である。死の時も有仏性であり無仏性である。

 仏性と生死について道元禅師が解説されている。

 生も死も有仏性であり、無仏性であると説かれる。

 生死について、道元禅師は「生も一時の位なり、死も一時の位なり」とおっしゃり、「生也全機現、死也全機現」とおっしゃっている。

 全機現とは全機能が発揮されているということだと思っている。

 生と死はともに全機能が発揮されているのであり、生と死は位置が異なるだけで対等の位にあるのだ。

 生と死は断絶されたものではない。生の時も死の時も一生懸命、全機現であればいいのだ。そう思っている。

 生死は同等の位置にあるのだから、仏性についても生と死で変わることはない。

 有仏性、無仏性についての私の考えは以下のとおりだ。

 仏性とは大宇宙の全存在であり、大宇宙は真実・真理として存在する。とすれば仏性=全存在=真実・真理と言える。であれば全存在、真実・真理は有ると言えるだろう。そしてまた、全存在、真実・真理となると「有る」という概念を超越してしまい、敢えて言えば無となるのではないだろうか。有るとか無いとかいうことを超越してしまうのではないだろうか。それが無仏性ということではないかと思っている。

 

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