第309話 仏性その百十八 一音

 「仏性の活計かっけは、長沙のどう卜度ぼくたくすべし。風火未散といふ言語、しづかに功夫すべし。未散といふは、いかなる道理かある。風火のあつまれりけるが、散ずべき期いまだしきかと道取するに、未散といふか。しかあるべからざるなり。風火未散はほとけ法をとく、未散風火は法ほとけをとく。たとへば一音いっとんの法をとく時節到来なり。説法の一音なる到来の時節なり。法は一音なり、一音の法なるゆゑに」。

 仏性の日常生活でのありかたは長沙禅師の言葉をいろいろと考えをめぐらせなければいけない。風火未散という言葉を落ち着いていろいろと考えてみなければいけない。未散というのにはどのような論理があるのだろうか。風火が集まっていたのが散るべき時がまだ来ていないと言うために未散と言ったのだろうか。そうではないのである。風火未散はほとけが法を説いており、未散風火は法がほとけを説いているのである。たとえるなら一つの音が法を説くというその時が今ここに到来しているということである。説法が一つの音でなされることが今ここにやってきているその時なのである。法は一つの音であり、一つの音が法であるためだからである。

 私の考え方は以下の通り。

 風火というの現実の存在。地水火風という物質の構成要素だからこれは存在。存在するものは仏、ほとけだ。大宇宙のすべての存在は仏だ。未散というのは現実の状態、有り様。現実の有り様、森羅万象のあり方が法、つまり真実・真理。全てのものは大宇宙の真実・真理の状態にある。

 現実の存在が真実・真理を説いているのであり、真実・真理が現実の存在を説くのだ。

 この現実の世界の中で、たった一つの音であってもそれは真実・真理を説いていると言える。

 我々はこの現実世界に生きている。この現実の大宇宙のありのままの中に生きている。

 そのことがここで説かれているのだと思っている。

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